暗い近未来人の日記−タイムカプセル課・その3 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2013年10月20日UP |
2093年6月3日
今日も一日ほとんど有料カプセルを見ていた。
今日は時代の変遷をテーマにするつもりで閲覧した。
タイムカプセルが誕生したのは今世紀半ばだから、取り上げられている時代はそれ以降だと思っていたんだけど、違った。
長年サイトやブログに載せていた記事から抜粋してカプセルにまとめている人もいれば、過去を追想して書いている人もいる。
なかには、親や祖父母の記録をカプセルに収録していた人もいた。
タイムカプセル事業が誕生する以前から、個人的にネット上のタイムカプセルをつくろうとした人がいたんだ。
だから、今世紀前半からの記録が残されているカプセルはいくつもあったし、百年以上前の記録が収録されたカプセルさえあった。二十年以上前に当時六十代だった人が契約したカプセルで、その人のおばあさんや両親が若かったころ日記に書いたできごとやブログに載せていた記事が収録されていた。時代の変遷を彷彿とさせる記事を選んだというだけあって、わたしの今日のテーマにぴったり。とても興味深かった。
その人のおばあさんは、男女雇用機会均等法のなかった時代に就職し、結婚したとき、退社せざるを得ない雰囲気に押されるようにして退職した。それから子どもができるまでの一年ほどと、末っ子が小学校に入学してから十年あまりパートで働いたが、いずれも夫の扶養の範囲。五十歳近くなってリストラされたあと、次の仕事は見つからなかったという。
彼女が不本意ながらリタイアしたころには、正社員と非正規社員の区別が強くなり、正社員として採用された若者たちのなかに、自分は非正規社員より立場が上なのだという意識の強い者が見られるようになっていた。リストラされたのも、そういうタイプの青年ふたりが、彼女の勤めていた店で店長に気に入られてパートの人事権を握り、疎ましく思った中高年女性のパート何人かを若い女性と取り換えたいと画策したのが一因だった。
「若いころは『若いから』『女性だから』という理由で差別され、四十代では『年齢が高いから』『非正規社員だから』という理由で差別された」
正確な文章は忘れたが、おおむねこういう意味の一文をその女性は書き残した。
彼女の末っ子はカプセルの契約者のおかあさんで、母親が専業主婦になったのと同じころに就職した。正社員として就職できたものの、弱肉強食のムードが濃厚で、男女とも気が強くて口の達者な人やそれに追従する人が派閥のようなグループを形成し、グループ同士が対立したかと思うと、団結して毛色の違う人間を排除しようとすることもある。それに、同じグループ内の人どうしでも陰で悪口を言っていることもあれば、それにうかつに相槌を打った人が蔭口の張本人のように脚色されて当人に告げ口されていることもある。
だれかの噂が出たときよく耳にするのは、「××は使えねえよ」「あいつ、辞めればいいのに」といった言葉だった。
その人たちの攻撃目標にされないよう、適当に調子を合わせていたが、子どもができたとわかったとき、迷ったすえに退職を決意した。いちど家庭に入ると再就職が難しくなるのはわかっていたが、会社の雰囲気に引きずられて自分も他人に攻撃的な気分になってしまいがちだという自覚があったので、それは子どものためによくないと考えたのだ。
彼女もまた、ひとり娘が小学校に入学したのを契機にパートで働こうとしたが、母親と同じか、それ以上の苦労をしている。弱肉強食の風潮は母親の時代よりいちだんと強くなっていたのだ。
その人の姉、契約者の伯母にあたる人は、ずっと独身で働き、三度転職しているが、ずいぶんひどいいじめを経験したそうだ。
とくに三度目の会社では、年齢による転職の難しさを考え、繰り返されるいじめに堪えていたら、いじめがどんどんエスカレートしていったあげく、五十九歳でリストラされてしまった。そのあとはパートの仕事しか見つからず、三十数年働いて貯めた貯金は年金受給年齢の七十歳までにほとんど使い果たし、年金額も少なかったので、晩年はかなり困窮していたという。
契約者本人は比較的仕事運がよく、若いころは職場いじめもリストラも経験したが、三十代半ばで就職した法律事務所では、パートからはじめて数年後に正社員に昇格できた。だが、それと前後して夫がリストラされ、一年あまり夫を扶養していたということだ。
全体として、仕事事情は、悪化したり、ましになったりを繰り返しながら、百年前より悪くなっているという感じがした。年功序列や性差別が減っていったかわりに、他人を蹴落とすのがうまい者が高い地位を得るという傾向が強くなっていったのだ。
この人のカプセルには、彼女たち四人それぞれの仕事事情のほか、見聞したことや事件なども書かれていた。いまでは死語となった言葉なんかも出ていて、そのなかには気になる単語もあった。
でも、もう眠いから、それは明日か、また別の機会に書くことにする。
2093年6月4日
今日やった仕事は、メールで送られてきたカプセルに目を通し、契約書と照合し、リストをつくり、確認の連絡を入れ……といった作業だった。
わたしの仕事はまだ少なくて、ひまな時間がときどきあり、そういうときにはタイムカプセル事業についての説明サイトを見たり、有料カプセルを見ることができた。
そうそう。昨日から気になっていた死語となっている言葉。「押す人」とか「プッシャー」っていうんだけど、使われている脈絡からすると、テレパスとは反対らしい。
テレパスってのは他人の感情や思考が読める人だけど、「押す人」ってのは、自分の感情や思考を他人に送って、影響を与えることのできる人のこと。つまり、ひとの心を操れる人ってことだ。
なんだか榊さんを連想した。
庶務課にいたとき、周囲の人たちがいつのまにか榊さんの信奉者って感じになっているのが不気味だった。
一種のマインドコントロールだな。宗教テロとか詐欺といった事件が起こったときにも、よく、マインドコントロールに長けた人が信奉者に犯罪を起こさせたって報道される。
そういうマインドコントロールって、言葉を使ってやるものだと思っていたけど、そういう種類の超能力者がいると思われていた時期があったんだ。仮説だけど。
それが通称「押す人」、または「プッシャー」。ついに正式名称がつけられないまま、消えてしまった語だ。
この「押す人」「プッシャー」という言葉が使われていたころ、テレパスのことを「読む人」「リーダー」という言い方もあった。
「読む人」のほうは存在がはっきり事実として広まり、以前からSF小説などでよく使われていた「テレパス」の語で定着したのに、「押す人」のほうだけうやむやに消えてしまったのはなんだか不思議だ。
テレパスが実在するのだから、「押す人」だって実際にいそうな気がするけど。
もしもそういう超能力が存在しなかったとしても、存在しないという証明があるわけじゃないのだから、噂や呼び名は残ると思うんだけど。
なぜ、どういう経過で使われなくなったんだろう?
2093年6月5日
昨日の続きみたいになるけど、いつのまにか死語になった気になる言葉がもうひとつある。「押す人」とちょっと関係ありそうな語で、「『ハダカの王様』症候群」。どうも、「押す人」がすたれかけたころによく使われるようになり、「押す人」よりあとまで使われていたけれど、いつのまにか消えてしまったようだ。
こちらは「押す人」とは逆に、マインドコントロールされる人間の心理。アンデルセン童話の「ハダカの王様」で、詐欺師の仕立屋に騙されて、実際には存在しない服を愚か者には見えない服だと思いこみ、見えているふりをする人たちの心理だ。
たしかに、それに似た心理はあると思う。
庶務課にいたときとか、中学校で雰囲気の悪いクラスにいたときを振り返ると、そう思う。
周囲の目を気にしてマインドコントロールされてしまう者の心理ってのは、たしかにあると思うんだけど……。「押す人」という言葉が消えていく時期と、「ハダカの王様症候群」という言葉が流行った時期が重なったというところが、ちょっとひっかかる。
想像だけど、「押す人」という超能力者の噂に「ハダカの王様症候群」という説明がつけられ、「ハダカの王様症候群」が流行語になるにつれて、「超能力かと思えたのは、じつはマインドコントロールされる側の心理だったのさ」というので、「押す人」という語が消えていったんじゃないかな。
もしもそうなら、「押す人」の噂を消すために「ハダカの王様症候群」という語が意図的に流されたという可能性はないか?
もしも「押す人」が実在していて、自分たちの存在を隠したいと思ったら、そういう手段を採るんじゃないか? 「押す人」ならそれは可能だ。
まさかとは思うけど。
実際には、都市伝説の一種みたいな噂が合理的な説明で否定されたというだけの話なのかもしれないけど。
でも、なんだか気になる。