暗い近未来人の日記−タイムカプセル課・その5 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2016年1月5日UP(2018年9月27日修正) |
2093年6月18日
このあいだのAさんから電話があった。
「前の会社で同僚だったBって人が、わたしの悪口書いたカプセルをそちらに依頼したか、これから依頼するみたいなんだけど! わたしの悪口なんて根も葉もない嘘八百で、名誉棄損だから、断ってください」
「は?」
思わず聞き返した。だって、名誉棄損ものの悪口を書いたカプセルを依頼してきたのはAさんのほうだったから。
「『は?』じゃないでしょ。Bの依頼を断ってって言ってるの! わかった?」
「あの、いきなりそう言われましても……」
「だから、Bからきた依頼を断ってって言ってるのよ!」
いらいらした口調で、Aさんがどなった。
「あなた、ひょっとして、おとつい電話をかけてきた人ね?」
「はい、お電話したのは私ですが」
「あなたじゃ話にならないわ! 別の人に代わってちょうだい! でもこのあいだ代わりに電話に出た人もだめよ! わたし、頭の悪い人、きらいなの! 日本語が通じないから!」
すごいセリフを平気で言う人だ。天に向かって唾を吐いているような気がするぞ。
「別の人に代わってちょうだい!」
「いま他の者は全員外出しておりまして……」
「なによ、それ!」と、Aさんがまたもや遮った。
「頼りない人しか残さずにだれもいなくなるって、どういうこと?」
ちらっと時刻を見ると、十二時五十二分。この課では交代で食事時間をとることにしていて、今日はわたしが十一時半すぎに食事に出て十二時半ごろ宇野さんと交代したから、わたしがいたんだけど、一般的な会社ではランチタイムだ。だれも電話に出ない会社だってあるのに、ひとりしかいないからといって文句を言われる筋合いはないと思う。
内心そう思ったけど、もちろんそんなことを口に出すわけにはいかない。
「申し訳ございません。他の者が戻りましたときに、そちらさまからの申し出を伝えておきます」
「ほんとでしょうね?」と、Aさんが疑わしげに食い下がってきた。
「そんなこと言って、揉み消す気じゃないでしょうねえ?」
内心で「助けてー」と悲鳴を上げていたとき、水口さんが戻ってきた。
「ただいまー」という声かドアを開ける音が、どうやらAさんにも聞こえたらしい。
「だれか帰ってきたみたいね。その人に代わりなさい!」
「では少々お待ちください」
保留ボタンを押して、水口さんに事情を手短に話し、水口さんのパソコンに電話をまわした。
「状況がよくわからないな」
首をかしげながらも、水口さんは電話の保留を解除して、ハンズフリーで会話をはじめた。
「お電話変わりました。水口と申します」
「ああ、よかった。ちゃんとした人が出た」 Aさんがわざとらしく水口さんを持ち上げるような言い方をした。
「いま出てた人ったら、頼りないし、要領得ないし、言うことがころころ変わるし、話が通じなくて困ってたんですよー」
水口さんがハンズフリーで話していて、会話がわたしに聞こえているのは、たぶんAさんにわかっているはず。つまり、Aさんは、わざとわたしに聞こえるように言っているのだろう。こういうところ、榊さんに似ている。
「申し訳ございません。なにぶんにも、まだ研修中の新人でございまして」
「いくら新人ったってねー。あんな頭の悪い人を教育するのってたいへんですねー」
「はあ……、あの、それで、ご用件ですが、別のお客様のカプセルを引き受けないでほしいというご要望だとお伺いいたしましたが」
「そうよ。Bからのカプセル依頼、来てるでしょう? ここ三日以内よ。調べてください」
「は、少々お待ちください」
水口さんが言われるままに検索しているみたいなので驚いた。これって社外秘だよね。いいのかなあ。
それで、水口さんが「Bさんという方からの依頼はございません」と答えているのを聞いて、ほっとした。Bさんのカプセルが到着していて、それをAさんに教えたら、プライバシー侵害をしてしまうところだった。
「では、もしBから依頼がきたら、そのカプセルを却下してください。わたしの悪口、あることないこと嘘ばっかり書いていて、名誉毀損の内容ですから」
「もちろん、名誉毀損のカプセルを依頼されましたら、書き直していただくか、場合によってはお断りいたします」
「では、Aの依頼をまちがいなく断っていただけるのでしょうね」
「もし、そのAさんからのご依頼があり、もしそれが名誉毀損の内容を含んでおり、もしAさんがその部分の削除か手直しを拒否なされば、依頼をお断りいたします」
うまい。内心で水口さんを見直した。
「じゃあ、その名誉毀損かどうかは、だれが判断するの?」と、Aさんが食い下がった。
「われわれスタッフが討議して判断いたします。ひとりの判断で決定することはございません」
「ほんとにちゃんと判断できるの? Aが社長令嬢だからって、名誉毀損ものでも通しちゃうんじゃないの?」
「いえ、お客様の社会的地位によって基準を変えることはございません」
「ほんとう? あ、じゃあ、こうしましょう。Bからの依頼があったら教えてちょうだい。わたしがBのカプセルをチェックするわ」
Aさんがとんでもない提案をしたので驚いた。
「お客様、それはちょっとご無理かと思います」
「なぜ?」
「社内の会議でございますから、社外の方をお招きするわけにはまいりません」
「まあー。じゃあ、十年後にわたしのどんな悪口が公開されるかわからないまま、びくびくしながら暮らさなきゃいけないってこと? わたし、神経細いから、そういうの、とても堪えられないわー」
「ご心配なのはわかりますが、その点はわたくしどもを信頼してくださいとしか申し上げられません」
「信頼してだいじょうぶなんでしょうねー」
「もちろんです」
「あなたは、先に話した女性の方たちと違って、信用できそうだけどー。でも電話で話しただけの人じゃ、信用していいかどうか、よくわからないわー」
そのあとAさんが声をひそめたので、何と言ったのかよくわからなかったが、水口さんが首をこくこく縦に振っているのが見えた。
まさか色仕掛け? Bさんの依頼を断らせたいという、ただそれだけのために?
そうだとしたら、きつい人というより、何を考えているのか、わけのわからない人だ、Aさんって。
そう思っていたら、水口さんが電話を切ったあと、ぽつりと言った。
「女って怖いなあ。まったく何を考えてるんだか」
Aさんのことを言っているのかと思っていたら違った。
「Bとかいう女、怖いよ、まったく。Aさんみたいないい人を退職に追い込んだあげく、悪口を広めようとするんだもんな」
同意を求めるような視線を投げかけられて困惑した。
いまのやり取りで、水口さんはどうしてAさんをいい人だと思えるんだろう?
2093年6月20日
Bさんからの依頼のカプセルが届いた。メール本文に書かれていた依頼の文章も読んだし、水口さんと田口さんがBさんと話しているのも聞いた。
はじめ、水口さんがBさんの映話を受けて話してたんだけど、依頼客に向かって話しているとは思えないほど横柄でケンカ腰だった。
「まだ最初のほうしか読んでおりませんので決定的なことは申せませんが、中傷誹謗や名誉毀損の内容はお引き受けできませんと、最初に申し上げておきましょう」
「中傷誹謗でも名誉毀損でもありません。お読みいただけばわかるかと思いますが」
「そうですかあ? ま、文章でなら何とでも話をつくれますからねえ」
「どういう意味ですか」 「そんなに興奮しないでくださいよ。感情的な人だなあ。Aさんが言ってた通りだ」
いくらなんでもひどすぎる。どうしちゃったんだ、水口さんは?
「ちょっと、水口さん」
宇野さんが咎め、田口さんがどなった。
「こっちにまわせ、水口!」
田口さんはいつも水口さんのことを「水口くん」と呼ぶ。呼び捨てにするのを聞いたのは初めてだ。
水口さんは田口さんのほうを振り向いた。
「水口!」
水口さんはしぶしぶ映話を田口さんにまわした。
「たいへん失礼いたしました。申し訳ございません」
田口さんがBさんに謝った。
「いまの方、Aさんに会ったのですね」
「そのようですな」
「Aさんに会った方はときどきあのようになります。だから、Aさんは直接会いたがるかもしれませんが、お会いにならないほうがいいです」
「思いっきりあやしいじゃないか」と、水口さんがわたしたちを見回しながら、訴えるように言った。
「Aさんに直接会われたら困るなんて」
水口さんが喚くのを無視して、田口さんは言葉を続けた。
「ご忠告は肝に銘じておきましょう。わたしは『押されない人』などとあだ名されたことはありますが、自分がそんなに強くないことはわかっておりますから」
田口さんの言葉はよく意味がわからなかったが、Bさんにはわかったようだ。
「押されない人……。ほんとにいたのですね、そういう方が」
「たんなるあだ名ですよ」
田口さんが微笑した。
「ともあれ、お預かりしたカプセルはこれから拝見させていただきます。そのうえで、万一、個人名を明記されているといったような、プライバシー侵害や名誉毀損に当たることがございましたら、どなた様にも書き直していただくことになっております」
「どなた様にも?」
「はい。どなた様にもです」
「よろしくお願いします」
信頼しきった口調でBさんが言って、映話が終わったあと、「どなた様にも」が意味するところに思い当たった。
この決まりはAさんのカプセルにも適用されると、田口さんは言ったのだ。
水口さんは不服そうだった。
「Bさんの依頼を断るべきです」
水口さんが主張した。
「BさんはAさんを陥れようとしています。Aさんのようないい人を中傷するような内容は、受けるべきではありません」
「中傷とはいえませんよ。本名を出してはいないし、どこのだれの話か、事情を知らない人にわかるような書き方もしていません」
Bさんのカプセルに目を通していた宇さんが反論した。
「中傷というなら、それはAさんのほうですね。Bさんの本名をフルネームで出しているのですから」
「それは、不当な扱いを受けたからです! 正義はAさんにあります!」
水口さんの目は異様にぎらぎら輝き、狂信者の目のように見えた。完全に冷静な判断力を失っている。というか、正気を失っているように見えた。
「その根拠はなんだ?」
田口さんが、水口さんと対象的な落ち着いた口調で訊ねた。
水口さんがけげんそうに振り向くと、田口さんが問いを重ねた。
「Aさんに正義があるという、その根拠はなんだ?」
「なんでって……。Aさんはいい人ですよ?」
「それでは答えになっていないよ」
「なぜですか?」
「では聞くがね。Aさんをいい人だと思う、その根拠は何なのだ?」
「そんなの、会って話をすればわかります。Aさんはいい人です」
「会ったのか?」
「いけませんか?」
「会って話をするうちに、Aさんはいい人で、正義はAさんにあると確信するようになったわけだな」
「そうです」
「変だと思わなかったか?」
「どういう意味ですか」
水口さんが気色ばんだ。
水口さんの反応は異様だと思ったが、田さんの言葉がどういう意味かは、わたしも知りたいと思った。
田口さんは、水口さんがAさんの言いなりになっている理由を知っているか、でなければ、その理由を推測しているのだろうか?
「会って話をしているうちに、確たる理由もなく相手を無条件に信用する気になったその心境の変化を、変だと思わなかったのかと聞いたんだが」
田口さんはため息をついた。
「まあそうか。自分では変だと思わないか」
「変なのは 田口さんのほうですよ!」
水口さんが机を叩いて立ち上がった。
「もういいです! わかっていただけないようですから」
そう言い残して、水口さんは部屋を出ていった。
「田口さん」と宇野さんが訊ねた。
「何か思い当たるようなことでも?」
「ああ、いや、確証なんてまったくないんだが」
田口さんはちょっとためらってから言葉を続けた。
「そのAさんって人、まさか、『押す人』じゃないよな、と思ったもんだから」
「押す人?」
わたしと宇野さんがほとんど同時に言った。
「その言葉、いろんな人のカプセルにたまに出てきますけど、都市伝説みたいなものじゃないんですか?」
宇野さんの問いに、田さんは「いや」と即答した。
「『押す人』は確かに実在する。たんに口がうまくて人を操るというんじゃなくて、一種の超能力者としての『押す人』がな」
確信たっぷりの言い方だったが、田口さんはそれ以上説明しようとはせず、黙り込んでしまった。