暗い近未来人の日記−タイムカプセル課・その6 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2018年9月27日UP |
2093年6月21日
一ノ瀬さんから電話がかかってきた。
危険を共にしたからかな。一ノ瀬さんと話すとほっとする。彼女はテレパスなのだから、ふつうなら緊張するところだけど。
で、お互いの近況などを話したところで、ぽろっと口に出た。
「ねえ、ところで、『押す人』って知ってる?」
一瞬の間をおいて、一ノ瀬さんが聞き返した。
「何かあったの?」
話してはまずかったかなと、ちょっと思った。
Aさんの依頼とかBさんの依頼とかは、社外秘だよな、やっぱり。
でも、社外秘だといって秘密にしておいていいんだろうか。水口さんはAさんに操られているように思えるのだけど。
Aさんはなんだか怪しすぎる。
これは、一ノ瀬さんのような人に相談する必要がある問題じゃないかと思う。社外秘だといって秘密にしておくとまずい状況かもしれないとも思う。Aさんはなんだか危険な人のような気がするもの。
そう思って、一ノ瀬さんに相談することにした。
「じつは、タイムカプセルの依頼人のなかに、変な……というか、なんだかとても怪しい人がいて……」
本名や会社名などのプライバシー情報を避けながら、知っているかぎりのことをくわしく話すと、一ノ瀬さんは「うーん」と考え込んだ。
「マインドコントロールのうまい人と超能力者としての『押す人』の境界線って、あいまいだからねえ」
「そうなの?」
「うん。『押す人』とか、わたしみたいなテレパスとか、対象が人間の心理でしょう? 操るにしろ、読み取るにしろ、超能力なんて想定しなくても長けている人がいるからね。で、そういう対人テクニックと超能力の境界はあいまいなわけよ。たぶん、本人にも区別がはっきりしていない場合が多いんじゃないかな」
「そういうものなの?」
「うん。わたしも、人の心を読めるようになってしばらくのあいだ、自分がテレパスだとは気がつかなかったもの。漠然と、勘がよくなったんだと思ってた。『押す人』の場合も同じだと思う」
「うーん、そうか。自分は人の心を動かすのがうまいと自覚していても、それが対人技術か超能力か、本人もわかっていないことが多いってことね」
「そういうこと」
「本人にもわからないんじゃ、周囲の人にはもっとわからないよね」
「うん。それに、そのAさんと水口さんって人の場合は、女性と男性でしょう?」
「色仕掛けか超能力かわかりづらい?」
思わずため息が出た。一ノ瀬さんもため息をついた。
「まあ、でも、『押す人』かどうかはともかくとして」と、一ノ瀬さんが言った。
「Aさんがマインドコントロールに長けた人で、本人にもその自覚があるってことは間違いなさそうね」
「うん。水口さんを言いなりにできる自信があって呼び出したんだと思う」
「一度会って確かめてみたいけど、難しいわよねえ」
「うん。そうなんだよね」
新米のわたしが顧客に直接会うことはない。ましてAさんは、いまや水口さんの担当のような雰囲気になってしまっているから、なおさらわたしが会う機会はない。
「いつどこに来るかさえわかれば、相手にわからないように確認できるかもしれないけど」
「うーん、わかったら連絡する。けど、難しそう」
「そうよねえ。まあ、わかったら連絡ちょうだい」
そう言ってもらえて、ほんのちょっと気が楽になった、具体的な方策は何もないんだけど、味方がいると思うとやっぱり心強い。
註 一ノ瀬さん(一ノ瀬涼子)は、就職活動中に出会い(「就職活動」)、主人公が企業犯罪に巻き込まれた事件(「安藤さん事件」)で再会し、事件解決に協力した同年代の女性。けっこう能力の高いテレパスで、頼りになる。
2093年6月23日
水口さんは、すっかりAさんに傾倒している。Aさんのことを褒めたたえる水口さんのようすは、やっぱり、魅力を感じた女性のことを話す男性というより、新興宗教の教祖の話をする信者のように見える。
わたしに対しても、「天野さんもAさんを見習ったほうがいいよ」などと言う。
「Aさんに注意されたときも、謙虚に聞こうとせずに失礼な言い方しただろ。そういうの、感心しないね」
いままで、水口さんのことを苦手とか変な人だと思ったことはなかったけど、いまはちょっとそう思う。でも、それは、たぶん水口さんのせいじゃない。Aさんが『押す人』だとしても、たんなるマインドコントロールのうまい人だとしても、水口さんはAさんに操られているんだ。
2093年6月24日
水口さんが出かけていて、部屋にわたしと宇野さんと田口さんの三人というとき、宇野さんが田口さんに、「ちょっと相談に乗ってほしいのですが」と声をかけた。
「水口さんがあさってのお昼にAさんと会う約束をしたらしいんですけど、そのとき、課長も同席するみたいです」
「そいつはやばいな」
「ええ。わたしとしては、このまま放っておけないから、知っている店だし、様子を探りたいと思うのですけど、ちょっと心配で……。田口さん、このあいだ、Aさんが『押す人』かもっておっしゃっていたでしょう? もしもAさんがほんとうに『押す人』だったら、課長も水口さんみたいに操られてしまうでしょうし、わたしも見つかれば操られてしまうかもしれません。何か、対策とかありませんか」
「おれもその店に行くということしか思いつかないな。おれだって、『押す人』に操られないという自信はないし、その場で何ができるというわけでもないんだが」
「あの」と、思わず声をかけた。宇野さんと田口さんがそろって振り向く。立ち聞きをしていたような後ろめたさでどぎまぎした。
「すみません。話が耳に入ったもので……。こういうときに頼りになりそうな友だちがいて、その日に応援頼めるか、聞いてみたいと思うのですが」
「友だち?」
田口さんが眉根を寄せた。
「社外の人間を引き込むのは避けたいんだがな。……どういう友だちなんだ?」
そう聞かれると困った。テレパスだというのは、一ノ瀬さんのプライバシーだ。
「Aさんが『押す人』かどうか、見分けられるかもしれなさそうな友だちです」
「テレパスか?」
返答に詰まっているのをどう受けとめたのか、田口さんが考え込むように言った。
「その友だちとやらが来てくれると言ったとしても、いきなり同行してもらうわけにはいかん。その前に一度会ってみたい。できれば明日。二日続けて時間を割いてもらうのが難しそうなら、直前にでも別の場所で」
「聞いてみます。あの、いま電話してもいいですか」
田口さんがうなずいたので、一ノ瀬さんに携帯で電話した。
「どうしたの? 会社、休み?」
「いえ、いま、会社から。ゆうべちょっと話した件で」
事情を説明すると、一ノ瀬さんはつかのま考えていった。
「じゃあ、いま、職場の人もそこにいるのね?」
「うん」
「じゃ、直接話したほうがいいかな」
「あ、うん。いま代わる」
田口さんに携帯を渡すと、一ノ瀬さんが名乗る声が聞こえた。
「はじめまして。一ノ瀬涼子と申します」
「一ノ瀬?」
田口さんは食い入るように画面を見つめ、驚きの声を上げた。
「涼子ちゃんか?」
わたしも驚いたが、一ノ瀬さんも驚いたようだ。
「え? あ、田口さん?」
「いや、驚いたな。まさか、涼子ちゃんのこととは。いやあ、それにしても、見違えたねえ。この前会ったときは子供だったのに」
「中学生は子供じゃないですよ。まあ、いまよりは子供ですけどね」
「そうか。いや、それにしても驚いたな。涼子ちゃんが天野さんの友だちとは」
「こっちも驚きです。田口さんが天野さんの上司だなんて。で、天野さんからちらっと聞いたんですけど。『押す人』かもしれない人がいるって」
「うん。そうなんだ。見分けられるかどうか、やってみてくれるか」
「はい。じつは、話を聞いた時からその気になっています」
「うん。まんいち失敗した場合の対策も考えておきたい。まあ、失敗しても全員操られるような事態にはならんだろうし、それほどの相手ならどうしようもないかもしれんが、いちおう事情を知っている人間がいて、できれば相談しあえるようにしておきたい」
「五郎ちゃんとは連絡とれます。左遷されちゃって、N県にいますけどね」
「左遷? なんで?」
「去年の暮れごろ、健康ドリンクの会社で、面接にきた女子大生ふたりを毒殺しようとしたって事件があったの、覚えてます?」
「そういや、そういう事件あったかな。よくわからん事件だと、ちらっと思った覚えがある」 「その女子大生ふたりって、わたしと天野さんのことです」
「えっ」
田口さんは口をあんぐりと開けた。
「どうやら、報道されなかった裏の事情がいろいろありそうだな」
「ええ。長い話になるので、今度の機会に詳しく話します」
「ああ。いまはこっちのトラブルが先決だからな。差し支えなければ、関口の番号を教えてくれ。こっちの信用できる同僚に教えておきたい。勝手に教えてまずければ、明日までに聞いてくれ。おれ個人の番号とメルアドを教えておくから」
田口さんが電話番号を口頭で言い、指をキーにさっと走らせた。
「で、天野さんと友だちだと言うなら、君の見立てを聞いておこう。天野さんは『押されない人』だと思うか」
「たぶん。『押されない人』でなかったとしても、押されにくいタイプでしょうね」
「わかった。では、明日、天野さんにも同行してもらおう。天野さんにその気があればだが」
そう言って、田口さんがわたしのほうを見た。もちろん、断る気なんでない。
「行きます。ぜひ」
田口さんはうなずくと、待ち合わせ場所と時間を決めて電話を切り、宇野さんのほうを振り向いた。
「もしも俺と天野さんとふたりそろっておかしくなったと感じたら、関口という男に連絡を取ってくれ。いま話していた一ノ瀬涼子くんのいとこで、警察官だ」
「わかりました。でも、できるかぎり、操られるかもしれないような危険を冒さないでくださいね」
「もちろんだ。やばいと思ったら逃げるさ」
田口さんはそう言ったが、宇野さんは心配そうだった。
註 一ノ瀬涼子のいとこ関口五郎は、主人公が巻き込まれた企業犯罪事件「安藤さん事件」で、涼子や主人公とともに事件解決にあたった刑事。それがもとで、後日、左遷された。
2093年6月26日
一ノ瀬さんと待ち合わせたのは、水口さんと課長がAさんと会う約束をした店と同じショッピングモールに入っているファーストフードのパスタ店だった。そこでランチを食べながら相談したんだ。
「顔を知られていないのはわたしだけだから、やっぱり、わたしひとりで入ったほうがいいと思います。その三人の写真ありますか」
「課長と水口の写真ならある」
田口さんは携帯をちょっと操作して一ノ瀬さんに渡した。わたしも見たことのある画像だ。
「今年の新年会の写真で、この真ん中に座っているのが課長。右隣でピースをしているのが水口。そっちの携帯に送っておく」
一ノ瀬さんは、自分の携帯を取り出し、画像を確認した。
「では、いちおう、こちらの携帯がとらえた音声と画像を田口さんのほうに送れるようにしておきます。けど、そちらはあまり期待しないでくださいね。不審がられないようにするほうを優先しますから」
そう言って、一ノ瀬さんは、水口さんたちの待ち合わせの時間より数分遅く店に入るタイミングで出かけて行った。
テーブルに置かれた田口さんの携帯を前にしばらく待っていると、着信が入り、パスタ店の店内の画像が映された。手に持っているので少し揺れているが、正面に映っている人物が拡大されると、水口さんだとわかった。その右隣にいるのは課長。向かい合わせに座って後ろ姿だけ映っている女性がAさんだろう。
くるくるカールした髪の右半分は赤茶色。左半分は金茶色で、ひとすじピンクのメッシュが入っている。いま流行りの左右非対称だが、最近まで会社勤めをしていた人にしては派手な髪型だ。
Aさんの容姿は知らないし、ざわざわした店内での話の内容も聞き取れないが、きんきん響く声音は、電話で聞いたことのあるAさんの声のような気がする。
『正面の男は水口に間違いない』と、田口さんが文字メールを送った。しばらくして、やはり文字メールで返信があった。
『ビミョー』
そのあとAさんの声がしばらく聞こえていたが、内容は聞き取れない。彼女が一方的にしゃべっているように思えるが、よくわからない。
しばらくしてAさんたち三人が立ち上がり、店を出ていくのがわかった。
『心配するほどのことはないと思う。そっちの店の前で落ち合うのでいい?』
『では店の横の駐車場で』
そんなメールのやりとりのあと、駐車場で待っていると、まもなく一ノ瀬さんが戻ってきた。 田口さんが運転する社用車の後部座席に、わたしと一ノ瀬さんが並んで座った。
「Aさんはたぶん『押す人』だと思うけど、力はそれほど強くはないですね。そもそも、Bさんって人やそのおにいさんも、天野さんも操れなかったのだし」
言われてみれば、たしかにそうだ。Aさんがもし強力な超能力みたいな力をもっていたとすれば、わたしはとっくに操られていたことだろう。いくらわたしが押されにくいタイプの人間だったとしても。
「それに、Aさんには、《押す》力を利用してだいそれた悪事を働こうとか、大きな権力を手に入れようとか、そういう野望はなさそうですね。関心があるのは、気に食わない人間をひどい目に遭わせたいとか、ちょっと得をしたいとか、玉の輿に乗りたいとか、まあそういうような小市民的な欲望の充足です。迷惑する人はいるでしょうけど、まあ、よくあるレベルです」
「いじめっ子タイプだけど、テロリストというわけじゃないって感じ?」
たずねると、一ノ瀬さんが頷いた。
「そう。そういう感じ」
「そうはいっても、うちの課長や水口がAさんに操られてBさんに迷惑をかけそうなら、止めなきゃならんのだが」
田口さんの心配ももっともだ。課長まで水口さんのようになってしまったら、Bさんの実名の入ったAさんのカプセルをそのまま採用してBさんのカプセルを却下するとか、そういうことを課長権限でやってしまいそうだ。
「少なくとも課長さんのほうは大丈夫でしょうね。Aさんにほとんど押されてはいないと思います。課長さんは課長さんで、頭の中は、今度のボーナスのこととか、出世競争のこととか、いま高校生の息子さんの進学問題とか、そういうので頭がいっぱいで、AさんとBさんの争いが入る余地はほとんどなくて、めんどうとか、かかわりたくないという気持ちが強いみたいでしたから」
「なるほど。課長のそういう無関心さを押し切るほどの力は、Aさんにはないのだな」
「そういうことです。たぶん。今後のことは、絶対にとは言い切れないのですが、まあ、今の段階では、たぶん大丈夫です」
「そうか。では、水口や課長の動きには今後も気をつけるが、あまり神経質にならないようにするよ」
「ええ。まんいち、なにかまずい方向にいきそうなことがあったら、相談してください」
「うん。そうするよ」
田口さんはほっとした表情で頷いた。わたしもほっとした。殺人事件だの陰謀だの、そういうのにはもう関わり合いになりたくはない。また大事件かと意気込んでいたから、ちょっと拍子抜けではあるけれど。とりあえずは一件落着かな。