暗い近未来人の日記−2093年夏休み |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2020年4月28日UP |
2093年7月22日
明日から一週間の夏休みだ。夏休みは、有休とは別に五日間休みを取れるので、土日と合わせてちょうど一週間の休みになる。
わたしの休みは、タイムカプセル課のなかでは二人目。第一弾は宇野さんで、きのうまで休みだった。高原のリゾートに友だちと三泊四日の旅行をしたと言って、おみやげのお菓子を買ってきてくれた。
休みの日程を決めるとき、土日から土日までの九連休にしなくていいのかと聞いてくれたけど、連休明けに月曜からはじまるより、週の半ばからはじまるほうが楽な気がしたんだ。
わたしのあとは、水口さん、田口さん、課長の順に休みを取る。水口さんは郷里の同窓会に合わせた帰省、田口さんはお盆に合わせた帰省、課長は家族サービスの旅行と、それぞれ予定が決まっているそうだ。
わたしはといえば、あさってからN県に旅行する。父方の祖父母の家も、アヤの実家もN県にあって、どちらも友だちを連れておいでといってくれているから、安上がりで旅行のルートを組みやすいんだ。
アヤとは、大学時代にはほとんど毎日顔を合わせていたのに、卒業してからは一度も会っていない。たまにメールや映話のやりとりをするだけになってしまっている。会うのは久しぶりだから楽しみだ。
2093年7月23日
今日は朝寝坊をして、旅行に持っていく衣類を選んだり、図書館にちょっと寄ったりして、夕方実家に帰った。リュックとか雨合羽とか、実家に置いてあるからね。明日は実家から出発する。
それにしても、わたしの部屋、半分物置に使われちゃってるよ、もう。母に文句を言ったら、「いいじゃないの、めったに帰ってこないんだから」と言われちゃったよ。
2093年7月24日
今日は早起きをした。S駅でアヤと合流して、お昼前にはアヤの実家に着いた。
途中でおもしろかったのは、チューブリフト。むかし走っていたローカル鉄道が廃線になったあと、透明チューブの中をリフトで上り下りするという路線がつくられたのだという。
ふつうの鉄道だと折り返しながら進むので距離が長くなってしまうが、リフトだから一直線に登れるし、チューブがあるから悪天候でも平気だし、眺めもいいし、乗客のいるときだけ動かすので経費も安くてすむ。利点が多いし、全国で数か所しかないので珍しいというので、観光客にも好評だそうだ。
チューブリフトからの眺めはすばらしく、座席も座り心地がいいように工夫されていて快適だった。
チューブリフトの終点は高原で、アヤの実家は駅から二キロほど離れている。散歩がてらに歩いてもいい距離だけど、アヤのおかあさんが車で迎えに来てくれていた。
アヤの実家は農家だけど、副業でペンションもやっている。というか、もともとはアヤのおかあさんの実家で、おかあさん方のおじいさんとおばあさんが農業をやっていて、おかあさんは高校進学とともに東京に出てからずっと東京暮らしだったんだけど、アヤが高校生のときに夫婦で実家に戻り、農作業を手伝うかたわら、ペンションもはじめたんだそうだ。
アヤは高校卒業まで首都圏にあるおとうさんの実家で暮らし、大学入学後は学生寮に住んでいた。だから、おかあさん方の実家には、実際にアヤが住んでいたことはない。
「春休み中と夏休み中以外の季節はあまり知らないんだ。秋は、紅葉のシーズンに二泊三日で帰ったことが一回あるだけだし、冬は一回で懲りたし。いちばん長くいるのは夏だけど、一週間もいれば飽きてくるから、観光の拠点にするって感じだったし。あんまり実家か郷里って実感ないな」
そう言いながらも「帰る」という言葉を使っているところを見ると、多少は「第二のふるさと」みたいな感覚あるのかも。
実家とペンションは歩いて二十分ほどの距離で、アヤのご両親は、ペンションの営業期間はペンションに住み、オフシーズンは実家に住んでいる。とはいっても、インシーズンでも客のひとりもいないときには実家に泊まったり、オフシーズンの間にもときおり見回りに行ったりと、近いだけに行き来は頻繁らしい。
ペンションは、三月下旬から十一月中旬までがインシーズンで、冬季は休業する。ペンションの建つ丘の上までの山道が雪に閉ざされるし、近くにスキー場もなく、丘をスキー場として開発するのも、地形や資金などの問題があって厳しいというので、最初から冬季は休業するつもりでペンションを始めたのだという。
「はじめは、それまでの仕事に疲れてたのもあって、長い休みを取れるようにしたいと思ったらしいんだけどね。現実はやりくりが厳しくて、冬の間に、ひと月かふた月か三ヶ月か、期間労働の仕事に出てたりする。父はほぼ毎年。母も県内のスキー場とか、冬も人出の多い観光地とかに働きに出たこと、何回かあるよ」
やっぱりそうなんだな。年に四カ月の長期休暇っていいなと思ったけど、現実は厳しいか。
ともあれ、今日はペンションのほうに泊めてもらうんだけど、昼食は、おじいさんとおばあさんがアヤに会いたがっているというので、実家のほうでいただいた。地元の川魚の塩焼きとか、山菜料理とか、手作りのお漬物とかあって、たいへんおいしかった。
そのあと高原の散策などして、夜はペンションに泊めてもらった。丘の上に建つペンションは、見晴らしがよくて絶景だった。夕食は、宿泊客と同じメニュー。地元産の牛肉や野菜でつくったビーフシチューがメインディッシュで、地元産のリンゴで作ったデザートなんかもあって、とてもおいしかった。
2093年7月25日
きのうは早く寝て、今日は早起きして日の出を見た。ペンションのすぐ近くに、日の出が格別きれいに見えるスポットがあるんだ。アヤのお勧めスポットというだけあって、すばらしい眺めだった。
朝食後は、アヤの運転する車で、高原内のお勧めスポットとか、近くの観光地などを見て、夕食前にペンションに戻った。夕食のメインディッシュは、地元産の岩魚や野菜でつくったフランス料理っぽい感じの料理。名前は忘れたけど、見た目におしゃれで、とてもおいしかった。
食べ終わって、ほかの宿泊客たちがみんな部屋に戻ったあともふたりでおしゃべりを楽しんでいたとき、アヤがぽつりと言った。
「こういうときにはねえ、年をとって会社勤めがしんどくなったら、親のあと継いでペンションやるのもいいかなあって思っちゃう。おじいちゃんやおばあちゃんみたいな農家は、わたしには無理だと思うけどさあ」
「なに言ってるの」と、たまたま近くにいたアヤのおかあさんが口をはさんだ。
「わたしたちがいつまでもここに住んでるとは限らないわよ。ペンションたたんで、東京かどこかに引っ越してるかもしれないし」
「えっ?」と、アヤが聞き返した。
「年をとってペンションつづけるのがしんどくなっても、ここで隠居暮らしするって言ってなかった?」
「前はそう思ってたわよ。七十ぐらいまでには悠々自適できる老後資金がたまるだろうと思ってたときにはね」
「って……、ペンション経営、うまくいってないの?」
「うまくいってるわよ」と、おかあさんが心外そうに言い返した。
「儲かってるとまではいえないけど、わりと評判いいし、まあまあうまくいってるわよ。できれば、働ける体力あるうちはこの仕事したいし、できれば隠居暮らしもここでやりたいわよ」
「じゃあ、なんで?」
「国民健康保険税の値上がりがすさまじくてね。数年前に比べて三倍近くになっちゃってるのよ。で、また値上がりの話が出てるの。このまま値上がりがつづいたら、ここで隠居生活を送るのは難しいかなあ。それで引っ越すなら体力のあるうちにというので、都会に引っ越しちゃった人も何人もいて、過疎化に拍車かかってるし」
そう言ってアヤのおかあさんはため息をついた。
「ペンション経営のほうもねえ。いまはまだお客さんがわりといるけど、この先、消費税値上げや収入格差の拡大がつづいたら、旅行する余裕のある人が減っていくんじゃないかしら」
うーん、健康保険税ねえ。都会でも高いと思うけど、地方はいちだんとたいへんなんだ。数年で三倍はひどいよ。
そういえば、健康保険って、収入が少ない家庭では、病気になっても医者に行かないから、支払うだけになっている傾向が強いと、どこかで読んだことがある。そのため手遅れになってしまう人も多く、年金保険料も支払うのみで、受け取らずに終わる人が多いとも書いてあった。つまり、低所得層の支払う健康保険税や年金保険税が、ある程度以上の収入のある人の医療費や年金の支払いにまわってるって。それってなんだか変だよね。
2093年7月26日
今日は、朝食を食べてすぐに出発し、観光地をまわって、夕食前ぐらいの時間に祖父母の家に着いた。祖父母の家は門前町の土産物屋。だから、けっこう街中という雰囲気だ。
およその到着時間は途中で連絡を入れたから、祖父母が手料理をつくって待っていてくれた。
料理をつくるのはおもに祖母だが、手打ちそばをつくるのは祖父。祖父の手打ちそばはお店の商品でもあり、開業日はほぼ毎日、実演販売している。
とはいっても、祖父ももうすぐ八十歳。数年前から、「そろそろ引退しようと思っているんだがねえ」と言っている。なのに続けているのは、店を閉じてしまうより、誰かに譲り渡して店を続けてほしいという気持ちがあるかららしい。
つい先日に電話で話したときにもそう言っていたのに、今日は打って変わって弱気だ。
「親父の代からやっている店だけど、もう閉じようかねえ」などと言っている。
「健さんか亮ちゃんに譲りたいって、言ってなかった?」
健さんは、祖父の店の従業員の中でもいちばんの古株。わたしが物心ついたときにはすでにこの店で働いており、手打ちそばの実演も祖父と交代でやっているベテランだ。
亮ちゃんは父の年の離れた弟で、東京で会社勤めをしているんだけど、脱サラして祖父のあとを継ぎたいと言い出したって聞いた。
「健さんはねえ、都会に引っ越すことを考え出したんだ」
「え、なんで?」
「超高齢化だというので、ので、国民健康保険税とか、どんどん値上がりしてるからだよ。いまでも東京あたりの倍以上なのに、また値上がりの話が出ているし。この先、十年後、二十年後となっていったら、どれだけ上がるかわかったもんじゃない。ってんで、働ける年のうちに都会に引っ越す人が増えて、よけい値上がりに拍車がかかりそうだしな。わしらだって、店を閉じるか誰かに譲ったら、東京に引っ越すことを考慮中だ」
思わずアヤと顔を見合わせた。
「おじいちゃんたら、お友達もいらしているときにそんな話は……」と祖母がたしなめると、アヤが首を横に振って口をはさんだ。
「いえ、うちの両親も同じような問題抱えていますから」
「え、そうなの?」
「うちの両親、永住するつもりで東京からN高原に引っ越してペンションやってるんですけど、こう健康保険税が値上がりしたら、永住は難しいって」
「ああ、そうだよねえ。田舎はどんどん、若い人にも年寄りにも暮らしにくい場所になってきてるねえ。亮二もそれで、脱サラはやっぱりやめるって言ってたし」
まあ、それで、四人で暗い未来についての話になってしまった。
2093年7月27日
今日はお寺だの郷土博物館だのを見て、夜に家に着いた。夕食は、名物の駅弁を買って車中で食べた。その予定で、帰りだけ座席指定の切符を買ってあったので、座って食べることができた。
帰宅して、シャワーを浴びて、ちょっとお茶を飲みながら祖父母の話題が出た。
「国民健康保険税の値上がりで頭抱えてた。健さんが都会に引っ越しちゃうかもしれないって。亮ちゃんも、それでおじいちゃんの跡を継ぐのはやめるって」
「そうか」と、父がため息をついた。
「まあ、亮二の場合はねえ、いい年になって急に跡を継ぐ気になっても難しいかなとは思っていたけどな。健さんもだめなのか」
「給料からの天引きだと、健康保険税は年金税に比べて大したことないと思ってたんだけど」
「そりゃ、去年学生で、収入がなかったからだ。来年から、ガクッと取られるぞ」
「えーっ」
「まあ、でも、社会保険のほうは国民健康保険に比べるとずっとましだな。で、国民健康保険税は、たしかに大都市圏は地方に比べてずっとましだ。過疎化が進んでいるところほどきつくて、そのせいで過疎化がますます進むんだ」
うん、そういう話はどこかで読んだことあったな。
「それで、全国一律にしたらどうかという意見も出てるんだが、そうなると、都市部の健康保険税が上がるので、都市部で猛反対が起こるだろうね。都市部のほうが貧富の差が大きくて、現行でも健康保険税を払えない人、そのため医者にかかれない人が多いという問題もあるし」
うーん、自分の手取りが減るのはやっぱりいやだし、貧富の差が大きいというのもよくわかる。自分の会社みてたってね。出来高制という隠れ蓑で、労基法だの最低賃金法だのの枠外に置かれている人多いもの。
2093年7月28日
旅行で疲れたから、今日は家で一日ゆっくり過ごすことにした。ベッドでゴロゴロしたり、本を読んだり、ネットをいろいろ見たりしてた。
で、ネットでおもしろいニュースを見つけた。ネットで愉快犯的にウイルスばらまいてた犯人が捕まったんだけど、被害を被った人のグループや企業がいっせいに損害賠償請求起こしてるんだって。その総額八億円以上。犯人、どうするんでしょうねえ。
おもしろいから関連記事を探してみたら、それと関係のないまたおもしろい記事が見つかった。
災害だの伝染病だの作物の不作だの世界情勢だの、何かのきっかけでなんらかの品物が不足するという噂が流れると、必ずと言っていいほど、買い占めて高値で転売しようとする悪いやつがあらわれる。それで、噂がほんとうになって、買い占めパニックが起こる。
わたしが子供のころから今までの間にも、ぱっと思い出せるだけで三回ほどそういうことがあった。小規模なのとかローカルなのまで含めると、たぶんその何倍も起こっていると思う。
そういうのも損害賠償の対象になるので、実際に賠償請求されている人とか、裁判で支払い命令が下りて借金まみれになっている人が何人かいるらしい。まあ、自業自得よね。