暗い近未来人の日記−安藤さんの話・8 |
日記形式の近未来小説です。主人公は大学4年。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2005年2月28日UP |
2092年12月2日
きょう就職課で求人票を見ていたら、DDドリンクの求人があった。成長企業だけあって、給料やその他の条件はわりといい。
「へえ、けっこういい求人きてるよ。DDドリンクだって」
「給料もわりといいし、大きな会社ってのが魅力よね。倒産とかリストラの心配が中小企業よりは少ないから」
そばにいた人たちがそんな話をしているので、ほんとうのことをぶちまけたくなった。
むずむずした気分でいると、その二人が気になることを言った。
「それにしても、こんな大きな会社、どうしていまごろ、うちの会社に求人出してきたんだろ? 大きな会社って、夏休みあたりまでに採る人をだいたい決めてしまうって聞いたよ」
「そういや、そうねえ。内定を取り消した人とかいたんじゃないの? でなきゃ、事務の準社員は一流大学では集まりにくいとかじゃない?」
気になったので、改めてDDドリンクの求人広告を注意して見た。
たしかにいくつか並んだ職種には「一般事務」「経理補助」などといった事務系の職種が多いけれど、「総合職」というのもある。
DDドリンクは、大企業というほど大きくはないけど、規模からいえばいわゆる中堅企業の部類に入り、これまでの雇用のしかたをみているとかなり保守的だ。つまり、総合職や研究職の求人は一流大学にばかり出して、建前では男女平等だけど実際に採用するのは大多数が男性、事務の補助職はほとんどが女性で、正社員や準社員として採用するのは大多数がお嬢さま系の短大の新卒……という会社なのだ。
いや、もちろん、わたしはDDドリンクで働いたことがないからそう詳しいわけじゃないけど。以前に安藤さんに少し話を聞いたし、正社員・準社員・パートのそれぞれの男女別従業員数とか多い出身校なんかは就職情報誌などでわかるから、推測はつく。
もちろん、男女差別はもう一世紀も前から違法とされているから、求人広告を見ているかぎり、性別によって職種や学歴や年齢に差はないけどね。でも、そんなのは建前って会社は多い。ほんの何人かだけ女性をそこそこ出世させて、「当社は女性も活躍しています」とかいっていても、正社員と準社員やアルバイトの男女比率とか管理職の男女比率を見れば、「性差別はない」という建前を取り繕うためにごく少数の女性を管理職にしているだけってのは歴然としている……。そういう会社はけっこう多くて、DDドリンクもその一つなのだ。
そのDDドリンクがうちの大学に求人を出してくるというのは、考えてみれば妙だ。うちは一流大学じゃないし、エスカレーター式の中学と高校は併設されているけど、短大はなくて四年制だけだ。それに、企業に受けがよさそうな学科よりどちらかというとアカデミックな学科が多いためか、生徒の六割以上が女性だ。
つまり、DDドリンクがうちの大学に求人を出すのって、ちょっと解せない。
これが同じように保守的だった別の中堅企業なら、方針を変えたのかと素直に受け取って喜んだと思うけど、なにしろDDドリンクだからね。この会社、いまのわたしには、お子様番組によく登場する「世界征服をたくらむ悪の秘密結社」の類とまではいわないけど、それをみみっちくしたような悪者として映っている。
まさかと思うけど、わたしをおびき出す罠なんてことはないだろうな?
そう勘繰りながら、DDドリンクの求人ナンバーをメモし、念のために就職課の人に探りを入れてみることにした。
「ナンバー六四五八三のDDドリンクの募集についてなんですけど」
「ああ、DDドリンクね」と、就職課の人がすぐに応じた。少し気の弱そうな感じの若い男性だ。
「さすがにわりと大きな会社だし、条件もいいから、希望者が多いね。ライバルが多いけど、まあがんばってみなさい」
「あ、いや、まだ応募するかどうかはっきり決めてないんですけど、ちょっと聞きたいことがありまして……」
言いながら、どうたずねたものか迷った。「怪しくなかったですか?」なんて聞いても、変に思われるだけだろう。
「この会社、いままで四年制の女子を採らないって聞いてたので、それについて何かいってなかったかと思いまして……」
「ああ」と、就職課の人はすぐに納得した。
「だいじょうぶ。その点は確認した。女性だからという理由で落としたりはしないそうだよ」
なんておめでたい人なんだ。そう思ったので、話が脇道にそれてしまうな……と思いながら、つい反論した。
「そりゃ、口ではそう言うでしょうよ。内実はどうでも、建前では性差別をしてはいけないことになってるんですから」
「だいじょうぶだって。そういう建前と本音が全然違うのは、ぼくにはわかるから。つまり……」
就職課の人は少しためらってから、少し声をひそめて言った。
「ぼくはテレパスだから」
「は?」
「いや、だから……。ぼくはテレパスなんだよ。あまり知られていないかもしれないけど、テレパスってのは世の中にけっこういるんだ。そうじゃない人には信じられないかもしれないけど」
そうむきになって説明してくれなくても、テレパスがほんとうにいるってのは、よく知ってるって。最近出会ったばかりなんだから。
でも、だからこそ、目の前の人の言うことをにわかに信じられなかった。
だって、そうでしょ? 二十二年生きてきて、テレパスの知り合いなんてひとりもいなかったのに、急にふたりも湧いて出てくるなんて。
「思いっきり疑っているね」
その人はため息をついた。
「まあ、むりもないけど。まあ、だからね、求人票は性別で差別していなくても、ほんとうは男子しか採る気のない企業とか、何かうさんくさいなとか、そういうことはぼくがチェックしてるから、だいじょうぶなんだ。それもぼくの仕事だから」
それがほんとうなら、うちの大学の就職課、ずいぶん良心的といえるけど、ほんとかなあ?
「つまり、DDドリンクの人にあやしい点はなかったわけですか?」
「ああ。うちの生徒が是非にと面接に行って、とても熱意があって感じがよかったので、できれば女性のほうがいいと思っている一般事務や経理補助も、四年制の大学で募集することにしたと言っていて、それが嘘じゃないというのはわかったよ」
うちの生徒が面接に行った? ほんとかなあ?
考え込んでいると、就職課の人がたずねた。
「で、どうする? なんなら説明会に行ってみて、自分の判断で確かめたら?」
「そうですね。でも、わたし、いま返事を待っているところが二社あって、自信は全然ないんですけど、その説明会の前にもしも内定の通知がきたら、そこに決めてしまって説明会に行けなくなると思います。それって、まずいですか?」
返事待ちが二社というのは嘘ではない。内定の通知がこなくても、たぶん説明会には行かないと思うけどね。「たぶん」っていうのは、DDドリンクに探りを入れるチャンスかも……と少し思っているからだ。それはやばいとは思うんだけど。
「それはかまわないよ。推薦状は希望者全員に発行するんだし。成績証明書発行の手数料がもったいないっていうのなら、説明会は次の土・日もその次の土・日もあるんだから、待ってみるかい?」
「あ、いえ、発行してください」
成績証明書は別に使いまわしできるんだし。推薦状を使うかどうかは、説明会とやらの日までに考えよう。
そう思って、会社説明会に必要な書類一式を申し込むために学生証を見せたら、就職課の人は妙な顔をした。
「天野梨沙さん?」
「はい、そうですけど?」
「きみはDDドリンクの面接に行ったんじゃなかったのか?」
「はい?」
質問の意味がわからない。
「さっき行ってたDDドリンクに面接に行って気に入られた生徒って、きみじゃないのか?」
「知りませんよ?」
「あれっ? たしかにDDドリンクの人が名前を出していたの、天野梨沙さんって名前だったと思ったけど? 同姓同名の人がいるのかなあ?」
「さあ?」と返事をしたけど、まちがいなくわたしと同姓同名の人が面接に行ったわけじゃないと思う。
「そのDDドリンクの人って、面接に来た人の名前をわざわざ出したんですか?」
「ああ、部長がいたく気に入ったとかいって、天野梨沙さんのことをいろいろ聞かれた」
「聞かれた?」
「うん、もちろん、『素行にまったく問題のない品行方正な生徒です』って以外、生徒のプライバシー情報になるようなことは何も話していないがね」
「その『品行方正』ってのは何が根拠なんです?」
「そりゃあ、何か問題を起こせば、名前は知られるだろう?」
なるほど、ブラックリストに載って学校の職員に名前を覚えられてしまったりしないかぎり、「素行にまったく問題のない品行方正な生徒」になるんだな。
じゃあ、ひょっとして、「うさんくさくない企業」ってのも同じような基準なんじゃ……。
「たぶん、同姓同名の人なんだろう」
就職課の人は自信なさそうに言って、「どうする?」と確認した。
いちおう、書類一式申し込んだ。成績証明書の受け取りは明日になるけど。
で、夜に一ノ瀬さんに電話して、ことの次第を話した。
「うちの学校にも求人が来てたわ」と、一ノ瀬さんが言う。
「いちおうわたしも推薦状を取っといたけど、その説明会とやらをどうするかよりも前に、そちらのそのテレパスとかいう就職課の職員にあたってみたいわね。そちらの大学に行ってみる。あさっての午後なら、わたし、講義がないから」
都合のいいことに、わたしもあさっての午後は二時半に授業が終わる。それで、一ノ瀬さんにうちの大学の生徒のふりをしてもらって、就職課に案内することにした。
主人公は、いままで「わたし」で通してきましたが、「天野理沙」という名前です。 |