暗い近未来人の日記−安藤さんの話・10

日記形式の近未来小説です。主人公は大学4年。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。

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2005年9月25日UP

  2092年12月7日

 DDドリンクの面接に行った。一ノ瀬さんもいっしょだ。
「いちおう安全対策は立てたけど」と、一ノ瀬さんが言った。
「でも、いま言うのはやめとくわ。まんいち試験場にテレパスがいたら、あなたの考えてることは読まれてしまうから。これだけ渡しとく」
 渡されたのは万年筆と携帯電話だった。わたしは携帯電話を持っていないのでよくわからないんだけど、見かけないタイプのような気がする。
「これ、ふつうの携帯としても使えるけどね。ここんとこにボタンがあるでしょ?」
 一ノ瀬さんが携帯の画面の上部を指し示した。
「危なくなったらここを押して」
「そうしたらどうなるの?」
「それは、いまは言わないほうがいいんじゃないかな」
「……で、万年筆は?」
「スーツの内ポケットにでも入れておいて」
「何に使うの?」
「入れとくだけでいいわ。どういうものかは、テレパス対策として言わないでおくね」
 好奇心が湧いたけど、聞くのはやめた。だって、会場にテレパスがいたら困るし。
 いや、でも、それでもこの携帯電話と万年筆に秘密があるってことはばれてしまうんじゃ……。
「ひょっとして、これのこと、考えちゃまずい?」
「うん。できれば考えないでほしいけど、うっかり考えてしまって、テレパスに読まれてしまったとしても、ま、なんとかなると思う」
 そう言われて説明会に臨んだ。
 説明会では、人事担当の男性社員が、自社の商品がどれほどすぐれた製品かとか、どれほど社会に貢献するものかとかを熱っぽく語った。
 反吐が出そうになった。発ガン物質が入っているかもしれないものを売っておきながら。口封じのために社員を殺しておきながら!
 安藤さんは、発ガン物質が入っているかもしれないってのが社内の噂になってるって言ってた。だったら、その噂がこの人の耳に入っていないってはずはないだろう。それなのに、どうしてこんなに臆面もなく、そんなシロモノが社会のためになっているなどと語れるのか?
 この人は、平然と大ウソをつける人なのか? それとも、噂を本気にしていなくて、自分の会社を信じきっているんだろうか?
 一ノ瀬さんになら、そういうことがわかるんだろうな。
 そう思ってから、一ノ瀬さんのことを考えないように、自分の思考をほかに向けようとした。だって、DDドリンク側のテレパスがこのなかにいたら、一ノ瀬さんがテレパスだってばれたら困るもの。
 わたしがDDドリンクを疑っている……っていうより、安藤さん殺害の犯人と確信してるってことも、ばれないほうがいいんだけど。ばれたら危険だから。
 いや、でも、これだけいろいろ仕掛けてきてるってことは、こっちがかなり気づいてるって、向こうは思っているんだろう。
 ああ、真剣な表情で聞いている面接の学生みんなにほんとうのことをぶちまけたい。
 そんなことを思っているうちに、説明が終わって、三人ずつ面接に呼び出された。七組が面接し、最後にわたしと一ノ瀬さんが残った。
 いかにもわざとらしい。一ノ瀬さんにそう話しかけたかったが、ぐっとがまんした。もしもテレパスがいなくたって、盗聴器ぐらい仕掛けられているかもしれないもんね。
 で、部屋に入ると、面接官は三人。三人とも四十代か五十代ぐらいの中年男性で、年齢の差はわからないけど、上下関係はなんとなく見当がつく。
 ばかばかしいと思いながら、名前を名乗って「よろしくお願いします」という定番のあいさつをした。
 すると、どうやら地位がいちばん上と見られる真ん中に座っていた男が、向かって右端の気弱そうな人に言った。
「田村くん。ここはもういいから」
 それで、その人が就職課の人と会った田村課長なる人物だとわかった。
「は?」と田村課長が聞き返した。よほど意外だったのだろう。
「このふたりはおれたちが面接する。きみは席に帰りたまえ」
「え、いや、しかし、わたしは人事担当ですから」
「それがどうした? 常務のおれがいいと言ってるんだぞ」
 すごむように言われて、田村課長はすごすご部屋から出ていった。
 なるほど。あの人はほんとうに何も知らないんだ。いや、そりゃあ、自分ところの製品に発ガン物質云々の噂は聞いて知っているだろうけど、わたしと一ノ瀬さんがマークされていることは知らない。それで、就職課の人は変だと気づかなかったんだな。
 相手が中年男二人なら、いざ格闘になったらなんとかなるだろうか?
 取っ組み合いのケンカなんて、小学校低学年のころ以来やったことはないし、わたしは運動神経がとろいから、自信はない。まして相手は男だ。とはいえ、ふたりともけっこう年のおじさんだし、デスクワークばかりやっている管理職なら、わたしよりとろいかもしれない。
 そう思ってたら甘かった。部屋には、田村課長が出ていったドア、つまりわたしたちが入ったドアのほか、もう一つドアがあったんだけど、そこから若い男が二人入ってきたのだ。
 さきほど説明会で説明していたのとはまた別の男だ。がっしりした体格の男たちで、ちょっと勝ち目はなさそうだ。
 ひるんでいると、常務だというその中年男がにっこりした。
 もしも事情をまったく知らない人が見れば、この人はわたしたちに好意的に接しているように見えるかもしれない。そんな笑顔だ。海千山千ってのは、こういう人をいうんだろうな。
「さて、あんたがたはわが社の製品をどう思っているのかな?」
「どう……とは?」
「面接にきたからには、わが社の製品に関心があるのだろうね?」
「それはもちろん」
 あたりまえだ。ものすごく関心を持っている。関心の方向は、面接にきたほかの人たちとはまったく違うけどね。
 中年男ふたりはすばやくめくばせし、常務ではないほうの男が脇のイスに置いた鞄から例の健康ドリンクを二つ取り出した。
「それなら飲んでみたまえ。わが社の製品に関心があるのなら飲めるはずだ」
 なにを言ってるんだ? 関心があるからこそ、そんなシロモノを飲めるものか。
「これまで面接にきた人たちはみんな大喜びでそれを飲んだよ。飲めないというなら、きみたちはあやしいね」
 あやしいのはそっちだろうが。このおっさん、自分でそれがわかっていないのか?
「それなら」と、一ノ瀬さんが口を開いた。
「あなたがたがまずそれを飲んでみてはどうですか? 飲めないというなら、あなたがたのほうがあやしいんじゃありませんか?」
 中年男ふたりが顔を歪めた。吐き気がするほど醜悪な表情だった。
「取り押さえろ」
 常務の命令で、若い男たちがわたしと一ノ瀬さんをそれぞれ後ろ手にして取り押さえた。もちろん抵抗したけど、相手はすごい力で、あっというまに取り押さえられてしまった。その前に上着のポケットに手を入れて、なんとか携帯のボタンを押すことができたけど。
「何を持っている?」
 常務ではないほうの中年男がわたしの上着のポケットに手をつっこんで、携帯電話を取り出し、折り畳まれていた画面を開いて一瞥すると、常務をふり向いた。
「だいじょうぶです。どこにも発信されていません」
「そっちの小娘もポケットに手を入れようとしたぞ」
 常務に言われて、そいつは一ノ瀬さんの上着のポケットも探り、携帯電話を取り出した。
「内ポケットも調べとけ」
 そいつは、一ノ瀬さんの上着のボタンをはずして内ポケットをさぐり、手帳とペンとハンカチを取り出した。わたしが預かったのと似たペンだ。
 男はそれを床に放り出すと、にやりとした。
 一ノ瀬さんの悲鳴が響いた。いまにして思えば、実際に声を出して叫んだだけでなく、テレパシーの悲鳴もあったと思う。恐怖というより、おぞましくてたまらないといった感情がじんじん伝わってきた。
 たとえていうなら、ゴキブリが十匹ぐらい飛んできて顔にたかったよりももっと気色が悪い。そんなおぞましさだ。
 理由はひとめでわかった。彼女の悲鳴に一瞬遅れて、そいつが彼女の胸をつかんだからだ。一ノ瀬さんはテレパスだから、そいつの意図が先にわかったんだ。
「何をやっとるんだ? そんな貧弱な小娘相手に?」
 常務があきれたように言ったが、部下を止める気はないらしい。
「いやいや、ブラのなかに何か隠しているかもしれませんからな」
 それが口実だと一目瞭然の表情で男が言う。
 一ノ瀬さんの感じているおぞましさが伝染して、こっちまでおぞましく、彼女を助けようとじたばたもがいたが、屈強の男に押さえつけられていて身動きがとれない。
 と……。
 いきなりバタンと扉が開いて、だれかが飛びこんできた。わたしと一ノ瀬さんを押さえつけていた男たちが手をゆるめ、その人物に向かった。飛びこんできたのは、若い女の人で、空手のような技を使って、先に飛びかかってきた男を倒した。
 一ノ瀬さんは、手が自由になると同時に、中年男にアッパーカットを食らわせ、イスを持ち上げてなぐりつけた。
 それを目の端でとらえながら、わたしもやっぱりイスを持ち上げ、常務になぐりかかった。だって、武器になりそうなものって、イスしかないもんね。
「この小娘がっ!」
 常務にイスをつかまれ、その反動でわたしは尻餅をつき、イスから手を離してしまった。常務が殺気立った顔つきで、わたしから奪い取ったイスをふり上げた。
 形成逆転だ。殴られる!
 そう思ったとき、さきほど飛び込んできた女の人が常務に当て身を食らわせ、腕をつかんで投げ飛ばした。一本背負いってやつかな。
 強い! かっこいい! この人、だれ?
 そう思っていると、その人は、まだ逆上して中年男をなぐりつづけている一ノ瀬さんの肩に手をかけて言った。
「もう、そのへんにしときなさい」
 攻撃の手が止まったところで、中年男が金切り声を上げた。
「お、おまえら、暴行罪で訴えてやるからな」
 このおっさん、自分が犯罪者だという自覚がないのか?
「訴えられるものなら訴えてみなさいよ。そっちこそ殺人未遂罪よ。わたしたちに毒を飲ませようとしたんだから」
 一ノ瀬さんが言い返した。
「そうよ。発ガン物質入りのドリンク剤をむりやり飲ませようとしたじゃないの」
 わたしが言うと、一ノ瀬さんがふり向いた。
「違うのよ。こいつら……」
 言いかけたとき、バタバタ足音がして、部屋に何人もの人たちが飛び込んできた。
 新手がきたかと思ってぎくっとしたが、そのうちのひとりは関口さんだった。
 関口さんは、警察官だと証明する携帯パソコンを見せた。
「おおっ、警察を呼んでくれたんだな」
 目を覚ましたらしい常務がしれっとしてうれしそうに言った。
 関口さんとそのすぐそばにいる男の人は厳しい顔をしており、それ以外の数人の男女は当惑げに顔を見合わせた。どうやら、刑事は二人だけで、ほかの人はこの会社の従業員らしい。
「この三人を捕まえてくれ。面接の学生を装って、いきなり暴れだしたんだ。暴れて金品をゆすろうってんだ」
 あきれた。とっさにしろ、よくこんなでっちあげをすらすら言えたもんだ。
「殺人未遂よ」と、一ノ瀬さんが関口さんに説明した。
「そのドリンク剤が証拠よ。モンルクシムSとかって致死量の毒薬が入ってるわ。飲んでから二十時間ほどすると心臓発作を起こして死ぬって薬よ」
 顔から血の気が引いた。さっき一ノ瀬さんが何か言いかけていたのはこういうことか。飲んでから効くまで二十時間ほどかかるのなら、なんとでもごまかせると思ったんだな。
 青くなったのはわたしだけじゃなかった。常務ともうひとりの中年男もまっ青になっていた。
「ど、どうしてその名を?」
 常務ではないほうの男が言い、常務がそれを遮った。
「口から出任せだ! そんな毒薬の名は聞いたこともない」
「これを調べてみればわかることです」
 関口さんはハンカチを出して、注意深くそのドリンク剤を包んだ。
「調べるも何も、それは……。そう、それはこの女たちが持ち込んだんだ。わが社をゆする目的でな。毒薬が入っているとしたら、そいつらが自分で仕込んだんだ」
「もしも彼女たちが持ち込んだのなら、壜に指紋がついているはず。壜の指紋を調べればわかることです」
「そ、そんなものは……、壜の水滴で消えてしまっているだろうが」
「ほかにも証拠はあるんですよ」
 関口さんが携帯パソコンを取り出した。
 すると、「それなら飲んでみたまえ」と中年男の声が聞こえた。続いて、関口さんたちがやってくる前のやりとりが再生された。
 それで気がついた。面接前に渡された万年筆は盗聴装置で、関口さんのパソコンに会話を送り続けていたのだ。
 で、常務ともうひとりの中年男、それにわたしと一ノ瀬さんを取り押さえていた若い男二人は、殺人未遂の現行犯で逮捕された。そのときわかったのだが、常務ではないほうの中年男は総務部長だった。
 わたしたちを助けに飛び込んできてくれた女の人が刑事だったってこともわかった。女子学生のふりをしていたけど、ほんとうはわたしたちよりだいぶん年上みたいだ。携帯電話のボタンは、この人にSOSを求めるためのものだったんだ。
「危険な目にあわせてしまったね。悪かった。これがせいいっぱいだったんだ」
 関口さんがわたしと一ノ瀬さんにあやまった。
 どう言っていいのかわからない。だって、ひどい目にあったのは一ノ瀬さんのほうだから。もとはといえば、わたしと偶然出くわしたために巻き込まれたんだから、申しわけない。
 それでも、やっぱり、ふたりとも殺されずにすんでよかった。
 それにしても気になるのは……。
 あの常務が主犯なのか? ほかに黒幕がいるんじゃないのか? 共犯者だってもっといるんじゃないのか?
 関口さんにそう言ったけど、関口さんは肩をすくめて、「彼らを取り調べてみないとね」と言っただけだった。


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