暗い近未来人の日記−安藤さんの話・11

日記形式の近未来小説です。主人公は大学4年。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。

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2005年10月22日UP

  2092年12月8日

 きのうの事件のことがいろいろなメディアで報道されていた。
 だけど、あのドリンク剤の危険性のことには触れられていない。たんに、面接にきた女子学生二人を毒殺しようとしたとされている。
 きのうのきょうだから、こんなものなのかなあ?


  2092年12月11日

 寮の談話室でテレビを見ていてむかついた。評論家らしいおじさんが例の事件の解説をしてたんだけど。
「最近の若い女の子にはたちの悪いのもいますからねえ。就職したくて、なりふりかまわず企業の担当者を誘惑したり、脅迫したり。殺意を抱いたからには、よほど目にあまるものがあったんでしょう。会社のことを思って、思いつめたんでしょうねえ」
 ちょっと、何よ、これ。仮にも解説してるんなら、事件のことを把握しているはずでしょ?
 なぜドリンク剤のことを持ち出さないの? 安藤さんや岡野くんのことに触れないの?
 この人、何も知らず、事情を確認もせずに、憶測でこんなことを言ってるんだろうか? それとも、真相を知ったうえで、DDドリンクに加担している?


  2092年12月18日

 きょう、一ノ瀬さんと会った。電話がかかってきて、わたしのほうも彼女としゃべりたい気分だったから、彼女のアパートを訪れたのだ。
 喫茶店かどこかで会ってもよかったんだけど、一ノ瀬さんがアパートに来ないかというので、そうすることにした。
 彼女の部屋を訪ねるのははじめてだ。ひそかな相談をする必要があったあの事件のさなかに外で会って、事件が終わってから訪ねるというのも妙なものだけど、あの事件のさなかには、わたしたちが協力しているとDDドリンクになるべく悟られないようにしようと思ってたもんね。
 で、訪ねてみると、一ノ瀬さんはなんだか浮かない顔をしている。
「どうしたの?」
 たずねると、「五郎ちゃんが左遷されちゃった」と言う。
 五郎ちゃんというのは、関口刑事のことだ。
「なぜ?」
「あの事件のせいよ。じつは、五郎ちゃん、DDドリンクから手を引けと言われてたの。上のほうからの圧力ってやつよ」
 驚いた。まるで刑事ドラマみたいな話だ。
「DDドリンクって、警察の上層部に手をまわせるようなコネを持ってたの?」
「……っていうよりはね」
 そう言って、一ノ瀬さんは声をひそめた。
「あの一件でね。あの常務とかの心を読んで、とんでもないことを知っちゃったの。ものすごくやばい話なんだけど、聞く覚悟ある?」
 思わずつばをごくりと飲み込み、それからうなずいた。
「ひょっとして政治家がらみとか?」
「えっ、なぜわかったの?」
「いや、だって、警察の上層部に圧力をかけるとかいうと、やっぱり政治家ってのが定番かと思って。テレビでわたしらのほうを悪者にしたがっているあの評論家もなんだかあやしいし」
 一ノ瀬さんはうなずいた。
「そう。その定番。黒幕は政治家だった。狸原よ」
 狸原といえば、福祉厚生省の大臣じゃないか。
「……黒幕って、安藤さんを殺した黒幕?」
「そこまで狸原が細かく命じたかどうかはわからないけど……。ドリンク剤にモンルクシムSを意図的に仕込ませたのは狸原よ」
「えっ? わたしらを殺そうとしたのが狸原?」
「ん? いや、わたしたちに飲ませようとしたあの一件じゃなくてね。ドリンク剤に微量のモンルクシムSが混入されているの。飲みつづけているうちに心臓の老化が早まって、本来の寿命より早く死んでしまうの」
 思わず口を開けたまま一ノ瀬さんを凝視してしまった。
「なに、それ? じゃあ、あのドリンクに入ってたのは……」
「発ガン物質じゃなくて、心臓の老化を早める物質なの。それがどうやってできたのかはよくわからない。偶然みたいだけど。ともかく、ドリンク剤からそれを除去しようと思えばできるのに、そうするどころかわざわざ増量して混入させてるのよ」
「何、それ? じゃあ、あのドリンク剤を飲んだ人はみんな……」
「製品の全部かどうかまではわからなかったけど。少なくとも、高齢者用の施設やホームレスの施設で無料配布しているのには混入されてる。わざとね。そうすれば施設に空室が早くできるし、年金を払わなくてもすむから」
 開いた口がふさがらなかった。
 そういえば、ネットのどこかのページで、税金として強制的に徴収されている国民年金や更正年金の保険税のうちかなりの金額が、狸原や福祉厚生省の高官たちのふところに流れているという話を読んだことがあったっけ。
「自分たちのふところに入れるお金をつくるために、施設のお年寄りやホームレスの人たちを殺そうとしてるってこと?」
「そういうこと」
 たいへんだ。夏にあった高校の同窓会で聞いた話を思い出した。
「高校時代の同級生で、ホームレスの施設に入った人がいるのよ。おとうさんがリストラされて社宅を追い出されたの。いまでも施設にいるかどうかはわからないけど」
「その人はだいじょうぶだと思うけど。それを無料で配っているのは高齢者に対してだけみたいだから」
 知り合いが無事とわかって少しほっとしたけど、安心している場合じゃなかった。こうしているあいだにも殺人が行なわれているのだ。だれにもそうと悟られないようにして。
「それ、だれかに話した?」
「五郎ちゃんとあなただけよ。五郎ちゃんには、だれにも話すなと釘を刺された。危険だからって。それを知っているってばれたら、命を狙われるかもしれないって。でも重くって……」
 そりゃあ、そうだろう。殺人が実行されているとわかっていて何もできないなんて。
 事件は全然解決していないじゃないか。

福祉厚生省は21世紀末の省庁の一つです。省庁が何度か改編されてこういう省庁ができたと思ってください。

  2093年6月29日

 DDドリンクは思いがけないところから告発された。ある大学の研究者とニュースサイトの一つが、モンルクシムSのことをすっぱ抜いたのだ。
 その研究者は、DDドリンクの秘密を知った岡野くんにドリンク剤の毒性を示唆する資料を渡されて分析を依頼され、岡野くんが謎の変死を遂げたあとも分析研究をつづけていたという。
 そういえば、DDドリンクは岡野くんが隠した何かを捜していたっけ。
 つまり、たぶん、岡野くんは何か証拠になるようなものを手に入れ、大学の研究室にいた知り合いにそれを託したんだ。そういうことを頼んだぐらいだから、その人と親しく、信頼もしていたんだろう。
 その研究者によると、例のドリンク剤の一般に市販されているものには微量のモンルクシムSが含まれており、毎日一本ずつ飲みつづけた場合、心臓の老化速度が推定一・五倍から二倍ほどに速くなる。高齢者の施設やホームレスの収容施設で六十歳以上の高齢者に配られている分にはその数倍ほどの量が含まれていて、心臓の老化速度が推定八倍から三十倍ほどに加速されるというのである。
 仮に年をとってもまったく病気をせず、事故にあわなかったとしても、心臓はいつか寿命を終えて自然に鼓動を止める。いくら医学の発達した今日でもそこまで生きられる人はまれだが、仮に六十歳の人で、心臓の寿命まで五十年か六十年残されているいう場合、毎日支給されるそれを飲みつづければ、二年後から七年後ぐらいにその心臓の寿命がやってくる。なにも病気をしなくても、六十代のうちに老衰死するというわけだ。
 以前に一ノ瀬さんから事件の真相を聞かされてはいたけど、具体的に聞くとえぐいな。


  2093年7月21日

 狸原の息がかかっているらしいあの評論家は、モンルクシムSのことを明るみに出したあの研究者とニュースサイトをやたらに攻撃している。でっちあげだとかいって。
 DDドリンクは、例のドリンク剤が回収されたり、それ以外の商品もさっぱり売れなくなって経営難となり、パートタイマーが大量解雇されたんだけど、評論家氏はそれも攻撃材料にしている。「彼らは社員やパートタイマーたちの困苦を考えなかったのか」だとか言って。
 何を言ってるんだか。パートタイマーたちの解雇は、企業犯罪を暴いた人のせいではなくて、犯罪を犯した者のせいでしょうが。
 それにしても、犯罪に加担していない人たちがクビにされたっていうのに、首謀者は安泰だってのは納得いかない。わたしと一ノ瀬さんを殺そうとしたあの四人はたしかに逮捕されたけど、黒幕に政治家がいたのなら、犯人が彼らだけってことはないと思う。経営者が何も知らなかったってはずはない。
 なのに、DDドリンクの社長は相変わらず社長をやっているし、狸原は大臣のままなのだ。


  2093年8月27日

 DDドリンクの件、あの研究者と同様の発表があった。それに内部告発ってやつも。
 内部告発のほうは、「もっと早くしろよ」と言いたいところだけど、告発者のほうは、事情をうすうす知ってはいても、告発できるだけの証拠を持っていなかったようだから、しかたがないのかもしれない。
 もうひとりの告発者は警察の鑑識の人。一ノ瀬さんに聞いたんだけど、関口さんの親友らしい。上からの命令を無視して調べていて、ついに確証をつかんだので、クビを覚悟で告発に踏み切ったらしい。
 こういう時代でも、そういう人もいるんだなあ。関口さんもだけど。


  2093年9月12日

 DDドリンクは倒産して、狸原は辞任した。でも、その辞任のときのコメントをみたかぎり、「遺憾だ」とか言っていて、全然悪いとは思っていないように見える。


  2093年10月19日

 狸原が刺されて死亡した。なんでも、徴収した年金を資金にして設立されたダミー会社みたいなのがいくつもあって、狸原は、大臣の辞任後はそこに天下りして、月収四百万円ほどの取締役におさまっていたんだって。
 あきれた話だ。
 で、彼を殺した犯人は七十二歳の老人なんだそうだ。いっしょに高齢者福祉施設に入っていた奥さんが心臓の発作で亡くなって、狸原に妻を殺されたと思いつめたらしい。
 夫婦が例のドリンク剤を支給されて飲んでいた期間は約八ヶ月。そこで岡野くんの知人の研究者による告発があったので、夫婦は恐くなって飲むのをやめた。その三ヶ月後に奥さんは亡くなった。
 死因は心臓の病気だから、例のドリンク剤が原因というわけではない。識者のひとりはそれを「浅慮」と書いていたが、「彼にとっては、妻はたしかに狸原元大臣に殺されたのだ」とコメントしている人もいた。
 わたしは後者の意見に賛成だ。だって、八ヶ月のあいだ夫婦で飲みつづけていたそのドリンク剤は、彼らの寿命を縮める目的で支給されていたのだ。奥さんの直接の死因じゃなくても、「殺された」と感じるのは当然だろう。
 でも、狸原みたいなのは、ちゃんと法律で裁いて欲しかった。こんな形での決着は残念だ。殺人犯になってしまったそのお年寄りもかわいそうだし。
 だけど、いまのこの国でそれを望むのはむりなのだろうか。


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