赤の領主黒の兵士・その1

異世界ファンタジー小説の1ページ目です。
「聖玉の王」の外伝にあたりますが、物語としては独立しています。

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 森の中を、騎士と歩兵がただふたりでさまよっていた。
 ふたりともまだ若い。騎士は、夕焼けの空を思わせる赤毛と、夕闇を思わせる灰色の目の持ち主で、鎖の鎧の上に、金糸で刺繍をした緋色のチュニックを着て、緋色のマントをはためかせている。
 指揮官の証しのりっぱな軍装と口もとの髭のせいで、遠目には三十歳ぐらいに見えなくもないが、近づいてよく見れば、もっと若いとわかる。せいぜい二十代半ばといったところであろうか。
 供をする歩兵は、湿った黒土の色の髪を無造作に束ね、瞳は湖の水面のごとき深い青緑。その髪と目の色は、魔性の者たちの夜の色の髪と緑の瞳を思い起こさせ、不安を呼び覚ますが、明らかに魔性の者たちのそれとは色合いが違う。
 ただふたりで本軍から離れてしまったというのに、不安の色さえ見せぬ落ち着いた物腰と、油断のない鋭い眼光から、かなり戦い慣れた者と見えるが、ほこりと返り血に汚れてなおみずみずしい若い肌と、少年の柔和さをいまだ残した美しい面ざしを見れば、せいぜい二十歳かそこらだろう。いや、いまだ十代かもしれぬ。
「完全に迷ってしまったようだな」
 騎士がつぶやくと、歩兵は、何を今さらと言いたげな視線をちらりと馬上に向け、無言のまま、すぐにまた前方に目を向けた。主君に対するにしては、あまりにそっけなく、ぞんざいな態度だ。
 それもそのはず、歩兵は騎士の従者ではなかった。正規の兵ですらなかった。半ば強制的に、半ば報酬の金につられて徴兵に応じた若者である。
 騎士の名は、エイリーク卿。王家の血に連なり、五つの村を治めて、その髪の色から〈赤の領主〉の異名をもつ貴族であり、ホルム王国の七つの騎士団のひとつ、第三騎士団を束ねる騎士団長でもあった。
 騎士団長ともなれば、末端の兵士のひとりひとりまで把握しきれるものではない。ただ、ふたりでさ迷い歩いたここ一刻ばかりのあいだに、エイリーク卿は、この歩兵が第三騎士団の下に配属された歩兵のひとりで、レイヴという名であることを聞き出し、若いながらになかなか腕が立つことも、自分の目で見て知っていた。
 とちゅうで魔族の残党数人と鉢合わせをしたとき、レイヴは、豪傑として知られたエイリーク卿の上をいく腕前を発揮していたのである。
 レイヴのほうは、さすがに騎士団長の顔と名前ぐらいは知っていたが、ただそれだけのことだった。百人の騎士と千人の歩兵からなる集団にあって、トップに立つ騎士団長と末端の歩兵とは、まったく見ず知らずの人間も同然だった。
 それでも、ここにいるのが別の歩兵であれば、騎士団長とふたりになれば、恐縮してかしこまるか、卑屈におもねろうとしたことだろう。
 だが、レイヴは、そういった畏怖とも卑屈さとも無縁の人間だった。
 黙々と歩いていたレイヴは、左手の木々の向こうから聞こえるかすかな物音に気づいて、そちらをふり向いた。ひと呼吸遅れて、エイリーク卿もそれに倣う。
 足音らしき物音は徐々に近づいてきて、やがて木々の合間から姿を見せたのは、年のころ七歳ぐらいの魔族の子供である。
 だが、おそらくは見かけどおりの年令ではなかろう。魔族は人間よりも年をとるのが遅いのだから。
 子供は、少年とも少女ともつかぬ美しい顔立ちをしていた。そのぐらいの年令では、人間の子供でも、服装の違いがなければ性別を見分けるのは難しいが、魔族の子供には、性別自体がない。魔族は、幼いころには性はなく、外見の年令が人間の子供の七歳から十二歳ぐらいになったとき、性が分かれる生きものだった。
 子供は、ふたりの敵に気づいて立ち止まった。みるみるその美しい面が、恐怖で覆い尽くされる。
 怯えるのも当然。魔族の村が人間の軍隊に襲撃されたとき、逃げ遅れた魔族の女や子供たちがどうなったか、その子供が知らないはずはない。
 掠奪と暴行は軍隊の常。まして、魔族に対しては、人間たちには根深い恐怖と憎悪があり、それが人間側の連合軍の男たちの凶暴性をいやがうえにも増していた。
 抵抗した者も、逃げ惑うばかりの者たちも、女たちはことごとく犯され、むごたらしく殺された。女たちだけでなく、まだ性の分かれぬ幼い子供たちも、少年たちも、同族の女たちと同じ運命をたどった。
 さらに村から逃げのびたと思われる者たちに対しても、軍は容赦なく残党狩りを命じた。
 人間どうしの戦いなら、むごい掠奪暴行で非戦闘員の女や子供や年寄りを殺すことはあっても、逃げた者まで追うことはまずない。
 だが、魔族との戦いでは、女、子供、赤ん坊に至るまで、ひとりとして逃がすなという命令が出ていた。人間どうしのふつうの戦争と違って、征服するための戦いでも奪うための戦いでもなく、全滅させるための戦いだった。
 おそらく、兵士たちの目を逃れて逃げのびた魔族は、皆無に等しかっただろう。あるいは、いま目の前にいる子供が、唯一の生き残りやもしれぬ。
 子供は、いま来た方向にちらりと絶望の視線を走らせると、そちらとも、前方のふたりとも違う方向に転じて、また森に駆け込もうとし、転倒した。
 どうやら、地を這う茨の蔦にでも足をとられたのだろう。足をくじいたのか、腰が抜けたのか、すぐには立ち上がれないようすで、子供は敵の騎士と歩兵を見上げた。
 絶望に彩られた子供の顔が、つかのま、エイリーク卿の脳裏で、別の子供の面差しと重なった。
 不安と悲しみに涙ぐんでいた子供。目の前の子供とちょうど年のころは同じ。とはいっても、それは外見だけのことで、エイリーク卿の苦い記憶の中にある子供は、まぎれもなく人間の子供だったが。
 だから、エイリーク卿は、レイヴが子供のほうに歩み寄りかけたとき、その背中に向かって思わず叫んでいた。
「やめろ! 殺すな! まだ子供だ!」
 明らかに軍規違反の命令であり、たとえ騎士団長が発したものとはいえ、レイヴには従う義務はない。レイヴは、エイリーク卿をふり返りもせず、子供のほうに歩み寄った。
「おい、やめろ!」
 エイリーク卿がレイヴを止めるために馬を降りようとしたとき、卿の予想に反し、レイヴは子供のすぐ前で腰をかがめて、子供の足にからまっていた蔦をはずしてやった。 「立てないのか?」
 驚いている子供にそう訊ねると、レイヴは、返事を待たずに、子供の両脇を支えて抱き起こし、地に足が着くようにしてやった。
 そのとき、子供が来た方角から足音がして、騒々しい声が上がった。
「おい、横取りするな。そいつはおれたちが追ってたんだ」
 先頭に立って森から出てきた歩兵がどなり、つづいて姿を現わした歩兵が、エイリーク卿に気づいて、おもねるように言った。
「おれたちがそいつを追ってたんです。認めてくださってもよろしいでしょう?」
 ふたりとも胴鎧を青く染めており、第六騎士団の歩兵とわかる。
 声のほうをちらりとふり返った黒髪の歩兵は、子供ががたがた震えながらもしっかり足で地を踏みしめていることを確かめると、手を離した。
「行け」
 子供は身をひるがえして、森の中に逃げ込んだ。
「ばか! なぜ逃がすんだ?」
 子供のあとを追おうとした歩兵の前に、行く手を遮るように、レイヴが立ちはだかった。
「おい、何しやがる? 魔族のガキが逃げるじゃねえか」
「そいつ、魔族の一味じゃねえのか?」
 歩兵たちのひとりが剣を抜くのを見て、エイリーク卿があわてて制止した。
「よさぬか! 味方同士で殺しあう気か?」
「けど、殿さま」と、剣を抜いた歩兵が卿をふり仰いだ。
「殿さまも見てやしたでしょう? こいつ、魔族を逃がしたんですぜ」
「子供を殺すなと命じたのは、わたしだ」
 第六騎士団の歩兵たちは、驚いて卿をまじまじと見上げ、それから、どうしようかと相談するように、ちらりと互いの顔を見た。
 魔族を皆殺しにしろという命令は、すべてに優先する。騎士団長とはいえ、それに矛盾する命令はできないはずだ。
 だが、彼らは、上位にある者には逆らわないという習性が身についていた。貴族、しかも第三騎士団長のような高位の貴族が相手では、どちらの言い分が正しいかなど、何の意味ももたない。手討ちにされればそれまでだし、争いになって相手を殺したりすれば、問答無用で自分たちのほうが処罰される。
 それで、彼らは、視線を交わした一瞬のうちに、エイリーク卿に逆らわないことに決めた。それで、剣を抜いていたほうの歩兵が、剣を鞘におさめながら、逆らうつもりはないという意思表示に、話題を転じた。
「殿さまのような方が、こんなところで供をひとりしか連れずに、いったいどうしましたんで? 魔族の残党がどこに潜んでいるかしれませんから、危険ですぜ」
「道に迷ったのだ」
「そうですか。なら、第六騎士団のところまでなら、案内してさしあげられますぜ。第三騎士団がどこにいるかはわかりませんが」
「それは助かる。第六騎士団のところまででいい」
 そうして四人は、第六騎士団のもとに向かったのだった。


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