赤の領主黒の兵士・その2

異世界ファンタジー小説の2ページ目です。
「聖玉の王」の外伝にあたりますが、物語としては独立しています。

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 エイリーク卿とその供の歩兵を案内して戻った第六騎士団のふたりは、卿と行動をともにしているあいだ、卿に従順にふるまっていたものの、内心はおもしろくなかった。なにしろ、暴行と殺戮の欲望を邪魔されたうえ、魔族を殺せばもらえるはずの褒賞をもらいそこねたのだ。
 それでも、エイリーク卿が彼らの領主であれば、彼らは口をつぐんでいたろう。領民が領主の機嫌をそこねれば、あとに待つのは破滅ばかりなのだから。
 だが、エイリーク卿は、彼らの領主でもなければ、騎士団長でもなかった。彼らは、第六騎士団の騎士団長ブーリス卿の領民であり、しかも、ブーリス卿とエイリーク卿はあまり仲がよくない。
 それで、ふたりは、ブーリス卿に事の顛末を報告した。
 ブーリス卿は、ふたりに褒美を与えると、その後まもなく本軍を率いて合流したグンナル王に、政敵エイリーク卿とその部下の違反行為を密告した。
 グンナル王は、ただちにエイリーク卿とレイヴを召喚した。
「魔族はひとりたりとも逃がすなと、そう厳命したはずだ。しかも、この命は、十二王国の合議の上で出たもの。わが国に違反者が出たとあっては、他の国にも示しがつかぬ」
 グンナル王は、エイリーク卿に向かって言ったあと、そのかたわらに立つ黒髪の歩兵に目を転じた。
「魔族を逃がしたのはおまえだな。名は何という?」
「レイヴ」
「両親の名と出身地は?」
「親の名は知らない。生地も知らないが、ものごころついたときからシグトゥーナに住んでいるから、たぶんそこの生まれだろう」
 国王をはじめ、まわりにいる者たちの顔に、蔑みの色が走る。
 ハウカダル島の十二の王国では、身分を問わず、名を名乗るときに両親の名と生地を告げるのが習いであり、それが出自の確かな証とされていた。
 男が妻以外の女を孕ますのは、不都合なこととは考えられていないので、両親が正式な夫婦か否かは問題とされない。生地が自国か他国かということも問題とはされない。両親の名を知っているか否かが問題なのだ。
 親の名も出身地も知らぬ者は、望まれずに生まれて親に見捨てられた者、おそらくは身持ちの悪い女か娼婦の産んだ子供という目で見られた。
 それはもちろんその者のせいではないのだが、多くの社会の常で、「子供に責任はない」という発想をする者はめったにいない。「魔族が悪者とはかぎらない」という発想をする者が、めったにいないのと同じように。
 まして、レイヴの国王に対するぞんざいな口のききようは、貴人に対する口のきき方をしつけられていないこと、自ら覚えようともしなかったことを意味している。
 それで、その場にいたほとんどの者たちが、レイヴに蔑みの目を向けた。ことに、エイリーク卿に敬意を抱いている第三騎士団の幾人かの騎士たちは、自分たちの大切な上官が、素性のあやしい男のために苦境に立たされていることに対して、怒りのこもった目をレイヴに向けた。
(どうしてこんな魔族の取り替え子のような者を、軍に加えてしまったのか?)
 レイヴの黒い髪が、魔族の闇の色の髪とは色合いが違うことがわかっていてもなお、その黒髪は魔族の髪を連想させ、彼らの憤りをいや増した。
 とりわけ後悔に駆られたのは、レイヴの属する歩兵隊の隊長である。直属の上官のうえ、レイヴを含むシグトゥーナ市の孤児たちを強引に徴兵したのは彼だったので、責任が自分にも及ぶのではないかと、内心ではらはらしていたのだった。
 ただ、エイリーク卿ひとりだけが、皆の軽侮の視線にも動じる気配のないレイヴの落ち着きように、この若さでたいしたものだと感心していた。
「魔族を逃がしたのは、おまえの一存か? それとも、いっしょにいた騎士団長の命令か?」
 国王の問いに、レイヴは即答した。
「おれの一存だ」
「では、軍規に従って、おまえは縛り首だ」
 非情な宣告にも、レイヴは動じる気配を見せず、エイリーク卿のほうが狼狽した。
「お待ちください、陛下! その者が魔族の子供を逃がしたのは、わたしの命令に従ったからです」
「部下思いなのはおまえの長所だと思うがな、エイリーク。今回のような庇い立ては行きすぎだぞ」
「べつに庇い立てでは……」
 エイリーク卿が言いかけるのを、国王は指を突き出して遮った。
「いいか、エイリーク。おまえは、父亡きあとのわしを何かと支えてくれた叔父の忘れ形見で、わが世継ぎの王子オーラーブの兄。しかもおまえ自身、わが国になくてはならぬ優秀な人材だ。そのおまえを、規律を守らぬ部下をかばうばかりに処罰するようなことは、わしとてしたくはないのだ」
 グンナル王の真意に、エイリーク卿は気がついた。王は、事実がどうあれ、軍規違反は歩兵が一存でやったことにしてしまいたいのだ。
「いかに王家の血に連なる者とはいえ、いや、王家の血に連なる者だからこそ、おまえが軍への背反行為をしたのなら、厳罰に処さねばならぬ。……おまえとて、その若さで、妻とまだ赤子のわが子を残して牢に入りたくはなかろう」
 エイリーク卿の脳裏に、遠征に出発して以来、もう半年近くも会っていない美しい妻と、出発のときにはまだ首もすわっていなかった息子の姿が浮かんだ。
 やっといとしい妻子の元に戻れるというのに、牢につながれるようなことはしたくない。
 それに、罪に問われて牢につながれるということは、領地と財産を没収されることを意味している。ひょっとすると、居城も没収されるかもしれない。そうすれば、妻は、赤子を連れて実家に帰り、肩身の狭い思いをしなければならないだろう。
 そんなことはとてもできないと、エイリーク卿は思った。
 レイヴには気の毒だが、エイリーク卿があくまで彼を弁護して罪に問われたとて、騎士団長の命令より優先すべき命令を、彼が無視したことに変わりはない。どのみち、レイヴは、罪に問われ、見せしめのために処刑されるだろう。
 どうせ助けることができないのなら、自分までがいっしょに破滅することはない。
「この男が魔族の子供を逃がしたのは、おまえの命令ではないな?」
「はい、陛下」
 自分の声が、エイリーク卿の耳に、まるで他人の声のように響いた。軍規に逆らって魔族の子供を殺すなと命じたことより、このほうが、よほどひどい裏切りだという気がした。
 レイヴは、エイリーク卿の裏切り行為を意に介していないのか、ふり向こうともしない。
 どうしてこの男はこんなに平然としているのかと、エイリーク卿は苛立った。
 こちらをふり向いて口汚くののしるか、卑屈に命乞いをして醜態をさらせば、これほどの良心の呵責も自己嫌悪も感じずに、この男を見捨てることができるはず。なのに、レイヴは、そのどちらもしようとしない。その落ち着きはらった態度は、「最初からあんたがこうすることはわかっていたよ」と言っているかのように、エイリーク卿には見えた。
 そして、卿がそう思ったのはあながちまちがいではなく、レイヴは最初から騎士団長などあてにはしていなかった。逃げ出すチャンスがどこにあるだろうかと、ひそかに思案をこらしていたのである。
「さて」と、グンナル王はレイヴのほうを見た。
「慣例に従って、最期の望みがあるなら言うがよい。かなうことであれば、かなえてやろう」
「どうせ死ぬのなら、郷里で死にたいのだがな。見せしめにするつもりなら、そっちもそのほうが都合がよかろう?」
 グンナル王は鼻先で笑った。
「少しでも死ぬのを先にのばそうという、小賢しい手だな。あいにくその望みはかなえてやるわけにはいかん。帰途は長いというのに、処刑するだけの罪人を連れ帰るという手間を、疲れた兵たちにかけさせる気はない。見せしめなら首だけでじゅうぶんだ。魔族たちと同様にな」
「そうか」
 レイヴは軽いため息をついた。相変わらず、絶望も悲嘆もその美しい面にはあらわれないが、さすがに、あてがはずれて少しがっかりしたという表情になった。郷里のシグトゥーナ市に何の愛着ももってはいなかったが、もっと人里に近づいてから脱走したかったのだ。
 魔族たちの住まうこの森まで、山や森、原野といった道なき道を行軍してきたので、地図もなしにひとりで人間の領域まで戻るのは難しい。レイヴはべつだん方向感覚が鈍いわけではなかったが、ものごころついて以来、シグトゥーナ市を離れたのは今回の遠征が初めてなので、慣れた旅人たちのように星や太陽の位置から方角を知る術は、ほとんど知らない。
 軍の移動した跡を、最後尾から充分な距離をあけてたどれば、戻れなくはないかもしれないが、魔族の領域にひとりで取り残されるのは危険だ。
 戦いに勝利をおさめ、魔族の村を三つ滅ぼし、村にいた魔族をほぼ皆殺しにしたとはいえ、村にいたのは、おもに非戦闘員の女や病人や子供たち。森のあちこちで戦った魔族の戦士たちには、逃げのびた者が幾人もいただろうと推測される。
 現にレイヴ自身、エイリーク卿とともにさまよっていたときに、数人の魔族の戦士たちと戦っている。
 それに、別の森に住む魔族たちや、魔族の故郷とされる魔界に住む魔族たちが、仲間の危機を知って駆けつけてくるかもしれない。
 そういったことを考えれば、こんなところで逃げ出すより、人間の住む町が間近に近づいてから逃げ出したほうがいい。シグトゥーナに戻るのはまずかろうが、他の十一の国のいずれかに潜り込めば、追っ手がかかることはまずない。
 隊から離れて四人だけでいたときに、さっさと逃げ出さず、おとなしく他の三人といっしょに戻ってきたのも、そんな計算があったからだ。
 だが、いささか楽観的すぎたそのもくろみははずれた。ならば、隙をみてさっさと逃げることだ。
 内心でそんなことを考えているレイヴの横顔を、エイリーク卿は、鋭い胸の痛みとともに見守った。
 エイリーク卿が「殺すな」と命じたとはいえ、軍規違反を承知の上で魔族の子供の命を助けた心やさしい若者。潔いのか、それとも逃げ出す算段でもあるのか、処刑の判決を受けてもなお落ち着きはらい、エイリーク卿に責任をなすりつけようとはしない若者。この男が、この若さで命を失うのは、理不尽だと思った。
(魔族と戦ったときには、じつに勇敢だったし、腕前もよかった。わたしひとりでは、まちがいなくやられていたろう。本来なら、指揮官を守ったとして、褒賞されてしかるべきものを)
 心の中でそうつぶやいて、エイリーク卿は、この若者を救う余地がまだ残されていなくもないことに気がついた。はたしてそれが有効かどうかはわからなかったし、へたをすれば、卿自身が王の不興を買う恐れがあったが。
「連れていって始末しろ」
 グンナル王がレイヴの両脇を固めた兵士たちに命じたとき、エイリーク卿は衝動的に叫んだ。
「お待ちください、陛下!」
 王が不機嫌そうにふり返る。
「まだ何かあるのか?」
「その者は褒賞に値するだけの武勲を立てております。それに免じて罪を減じてやるわけにはいきますまいか?」
「武勲とは?」
「ふたりで迷っていたとき、魔族五名に襲撃され、わたしがふたり斃しているあいだに、その者は残りの三人を斃しました。わたしひとりでは、五人も一度に相手をするのは難しかったでしょう」
「やめておけ、騎士団長」と、初めてレイヴがエイリーク卿をふり向いて言った。
「あんたまでとばっちりを食うぞ」
 せっかく逃げる算段を考えているのに、この気のやさしい騎士団長も罪に問われる状況になったら困る。天涯孤独の自分と違って、地位も名誉もあり、妻子までいる男が、そうかんたんに逃げ出せないのはわかっている。見捨てて逃げるしかないが、それはなんとも寝覚めが悪い。
 レイヴがそんなことを考えていたとき、エイリーク卿の言葉に思い当ることでもあるのか、はっとした表情になった騎士がいた。第六騎士団の騎士のひとりである。
 口を開こうかどうか迷っているその騎士のようすを見咎めて、グンナル王が訊ねる。
「何か言いたいことがあるのか、トスティ」
 名を呼ばれた騎士は、騎士団長の不興を買いたくなかったので、一瞬ためらった。が、へたなごまかしかたをすれば王の不興を買う。
 彼は、遠征のあいだはブーリス卿の指揮下に入っているとはいえ、ブーリス卿の臣下ではなく、王の臣下である。王に嘘をついてまで、ブーリス卿の機嫌をとる義理はない。
 それでトスティは、自分が知っているかぎりの事実を王に述べた。
「兵のなかに、魔族の戦士を五人斃したと申告した者がおりました。しかし、その者がひとりはぐれていたのはごくわずかな時間でしたし、魔族五人と同時に戦って勝てるほどの実力があるとも思えませんでした。しかもその五人の傷は、ふたりが槍、三人が剣で、いずれも相当な手練れによるもの。だれか他の者の手柄を横取りしたのではないかと、不審に思っていたのです」
「なるほど。……この者の所属する隊の隊長はだれだ?」
「はいっ!」と、いきなり名指しされた歩兵隊長が、緊張でうわずった声で返事しながら、直立不動の姿勢をとった。
「この者の他の戦功はどうなのだ?」
「勇敢に戦っておりました。わが隊のなかでは、おそらくいちばんの腕利きでしょう」
 それは事実だったが、歩兵隊長が言わなかったもうひとつの事実もある。レイヴは、魔族の戦士たちとはきわめて勇敢に戦ったが、村での殺戮や掠奪暴行には加わろうとせず、歩兵隊長はそれに腹を立てていたのである。
 そのうえに今回の不始末だったから、この男は魔族に同情的なのではないかと、歩兵隊長は疑っていたのだが、自分やエイリーク卿の保身を考えれば、もちろんそんなことは伏せておくほうがいい。
 王は自分の副官をふり返った。王の乳兄弟であり、騎士たちのなかでも王の信任のもっとも厚い人物だ。
「どう思う?」
「間諜の疑いがある場合、武勇にすぐれた裏切り者は、軟弱な裏切り者よりはるかに危険です」と、副官は答えた。
「しかし、間諜ということはまず考えられますまい。この者が助けたのは無力な子供で、魔族の戦士たちとは戦っておりますから」
「わしも、この者が間諜だとは思っておらん。まがまがしい色の髪だが、魔族の髪の色とは確かに違う。この者はまぎれもなく人間だ。だが、魔族を実際に見たことのない者は、区別がつかぬゆえ、黒髪の者を忌み嫌う。ゆえに、黒髪の者は、たいがい、魔族を激しく憎むか、でなくば己れを魔族の血を引く者ではないかと思い、魔族に親近感をもつ。そして、この男は、魔族を憎んでいるようには見えぬ」
 王は再びレイヴに目を向けた。
「どうだ? おまえは、自分を魔族の血を引く者ではないかと疑ったことはないのか?」
「いいや」
「なぜ、そう言い切れる?」
「おれは人間だと教えられた。子供のころに」
「なるほど。では、なぜ魔族に情けをかけた?」
「気まぐれだ。ただの子供で、戦士ではなかったしな」
 グンナル王は腹を立てた。王は魔族との戦いに日夜心を砕いているというのに、下々の者はどうしてこう無責任なのか、と。
 だが、レイヴの堂々とした態度に感心もしていたので、怒りを抑えて訊ねた。
「魔族が憎くはないのか?」
「べつに憎くはない」
「では、なぜ戦いに加わったのだ?」
 歩兵隊長が一瞬ぎくっとした表情をした。が、それに気づいたのか気づかなかったのか、彼が内心恐れていた答えとは違う答えを、レイヴは口にした。
「腹が減っていたからだ」
 その返事で、王は、この若者が天涯孤独の孤児だということを思い出した。
 そういう者が食い詰めて軍に入るのは、よくあることだ。でなければ、どうしようもないならず者となるのだ。
 この男もならず者だったのかもしれないが、そういう世をすねた者にありがちなすさんだ雰囲気はない。
 王は、つかのま思案したのち、裁決を下した。
「よかろう。軍規を破ったのは重罪だが、騎士団長を守った業績は大きい。その業績と、自分ひとりの罪と認めた潔さに免じて、処刑は免じてやろう。だが、無罪とするわけにもいかぬ」
 王は、エイリーク卿のほうに目を転じた。
「エイリーク、この者はおまえに任せる。次の戦いのときまでに、もっと兵士らしく仕込んでおけ」
 王の一言で、レイヴはエイリーク卿の預かりとなったのだった。


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