赤の領主黒の兵士・その3

異世界ファンタジー小説の3ページ目です。
「聖玉の王」の外伝にあたりますが、物語としては独立しています。

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        3

 なつかしい故郷への帰途、エイリーク卿は、落ち着かない視線をときおり斜め前に走らせた。
 そこを行くのは、帰郷の喜びに胸を躍らせる兵たちのなかで、ただひとりの囚われ人。剣を取り上げられ、縄で両手の自由を奪われたうえ、かつての同僚たちに見張られて、黙々と歩くレイヴである。
 レイヴは、食事のときも、両手首を縛られたまま、食べにくそうにスープをすすったりパンをかじったりし、夜は、木に縛りつけられて睡眠をとった。
 そんなレイヴの姿を、エイリーク卿は痛々しく見守った。魔族の子供を助けたことは後悔していなかったが、わが身の保身をはかって、この若者ひとりに罪を背負わせたことには良心が痛んだ。
 レイヴの姿を見ると、苦い思いに捕われずにはいられないのだが、それだけにかえって、彼から目が離せない。
 それで、郷里のホルム国に着き、グンナル王の率いる本隊をはじめ、他の騎士団と分かれ、第三騎士団だけになると、食事のとき、ついにエイリーク卿は、レイヴの所属する歩兵隊の隊長に命じた。
「もうほどいてやれ。それでは食べにくかろう」
「ですが、閣下」と、歩兵隊長は当惑した視線をエイリーク卿に向けた。
「殊勝げにふるまっているからって、だまされてはいけません。こいつは逃げるチャンスを窺っているんです。シグトゥーナじゃ、こいつは札つきのワルだったんです」
「どっちが」と、少し離れたところで、こそこそ話す者たちがいる。レイヴ同様、まだ少年の面差しを残した若い歩兵たちだ。
 歩兵隊長に横目でにらまれ、歩兵たちがこそこそ立ち去ろうとしたのを、エイリーク卿が呼び止めた。
「まあ待ちなさい。レイヴの知り合いなのか?」
 雲の上の人に等しい騎士団長にいきなり声をかけられ、歩兵三人が恐縮して立ち止まる。
「シグトゥーナの不良仲間です」と、歩兵隊長が彼らに代わって答えた。
「仲間などではない」
 ふいに、それまで黙っていたレイヴが口を開いた。
「そいつらとつるんだことなど、一度もない」
「けっ、おれたちだって、おめえを仲間だなんて思ってねえよ」
 歩兵たちのひとりが、顔を朱に染めて言い返したあと、つけ加えた。
「ただ、ちょっと、ようすを見に来ただけだ」
「心配したのだな」
 エイリーク卿の言葉に、その歩兵は、「とんでもねえ!」と力いっぱい否定したのち、相手が騎士団長だと気づいて、あわてて言い直した。
「いえ、とんでもないです。おれたちは、そいつとはそりが合わなかったんです。そいつはそういう魔族みたいな頭をしてやがるし、お高くとまってやがるし……。でも、そいつが魔族のガキを助けたってのは、たぶん、魔族とか、裏切りとか、そういうのとは関係ないです。そいつは、なんていうか……、ときどき、わけのわからんことをやらかすやつですから」
「そうです。徴兵のときも……」
 もうひとりの歩兵が横から口をはさみ、歩兵隊長が横目でにらんで彼を黙らせた。
 歩兵隊長は、町のちんぴらたちを兵士にするため、彼らの使い走りのようなことをしていた子供を人質にとって脅し、応じたレイヴを兵士にしたのだ。そんなことがエイリーク卿にばれては困る。
「ダグ」と、エイリーク卿は、この若者たちが気の毒になって、歩兵隊長に向かって言った。
「そうにらんでやるな。徴兵のときに何かいざこざがあったらしいことは察しがついたが、いまさらそれを責めたりはせんよ。兵の頭数をそろえるのに苦労したろうってことは、わかっているからな」
 ダグの顔がぱっと明るくなるのを見て、どうやらよほど知られたくないようなことをしたらしいなと、エイリーク卿は見当をつけた。
 何があったのか知りたくはあったが、ダグを追い詰めれば、とばっちりは目の前の若者たちにいく。
 おそらくこの若者たちは、不良≠ニ形容されるからには、すりやかっぱらいといった悪事で食い扶持を稼いでいたのだろう。それなら、罪人をそのまま軍に加えるのは危険すぎるから、ダグは、彼らを徴兵するとき、それまでの罪を不問にすると約束したにちがいない。
 だが、ダグににらまれたら、へたをすれば、そんな約束もなかったことにされてしまうかもしれない。シグトゥーナ市は王の直轄領なので、そこの住人に対して、エイリーク卿には何も権限がなく、彼らの運命を左右できるのは、市の総督の配下であるダグなのだ。
 それで、エイリーク卿は、事情を追求せず、ただこう言った。
「彼らにまっとうな職を世話してやれば、治安の面でも、来年の徴兵の面でも楽だと思うが」
 若者たちは一抹の期待に目を輝かせ、歩兵隊長は「はあ」とあいまいな返事をした。
 ダグの目からすれば、この若者たちはクズ同然。へたに職を紹介して問題を起こされれば、自分の責任になるという不安がある。が、その一方、エイリーク卿の機嫌をとっておいたほうが得だという打算もあれば、街のちんぴらを追いかけまわして兵にしたてあげた今年の苦労を、来年もやりたくないという気持ちもある。
 それで、彼は、どうとでもとれる返事をした。
「そうですね。今まで悪事を働いていた者にできるような仕事があるかどうかはわかりませんが、探すだけは探してみましょう」
「それがよかろう」  言いながら、エイリーク卿は、反対されないうちにと、さっさとレイヴの縄を自らほどいてやった。 「閣下! そんなことをして逃げ出されたら……」
「心配するな。全責任はわたしが負う。万一、この者が逃げ出したとしても、おまえの責任にはならない」
 そう言ってから、エイリーク卿は、魔族の子供を逃がした責任をレイヴに押しつけたことを思い出した。
(説得力がないな)
 自嘲気味にそう思ったとき、ふいにレイヴが口を開いた。
「逃げ出すつもりはない。そんなことをして、もし、また……」
 独り言のようにつぶやいたその言葉に、エイリーク卿は興味をそそられた。
(もし、また? 過去に何かあったのか?)
 知りたいと思ったが、もの思いに沈んだレイヴのようすから、訊ねるのはためらわれる。それで、エイリーク卿は、別の問いを口にした。
「心配してくれているのか?」
 レイヴは驚いたようにエイリーク卿を見上げた。
「べつにそういうわけではないが……」
 当惑したようなその口調で、エイリーク卿は気がついた。どうやらこの若者は、ほんとうに卿を心配してくれており、しかも本人にはその自覚がなかったらしい。
 彼の反応は、エイリーク卿には新鮮だった。
 王の血縁者で騎士団長という立場上、エイリーク卿は、畏敬されることにも、尊ばれることにも慣れていたが、そういう身分への畏敬の念をもっているとも見えないのに、誠意だけを示してくれる人間は珍しい。礼節はあっても誠意のない人間はたくさんいても、その逆の人間と出会ったのは初めてだ。
 ますますこの若者に興味を覚えるとともに、エイリーク卿は、大きく心を動かされてもいた。
 エイリーク卿は、身分と立場から備わった威厳と、いかめしくも見えるあごひげから、一見重々しい人柄と見えるが、そのじつ、情に動かされやすいところがあった。でなければ、魔族の子供を助けるよう、思わず命じてしまったり、レイヴに罪を背負わせたことに罪悪感を感じたりはしなかっただろう。
「怒っているかと思っていた」
 エイリーク卿の言葉に、レイヴはふしぎそうに卿を見上げた。
「どうして?」
「どうしてって……。おまえひとりに責任をなすりつけて、見殺しにしようとしたからだ」
「大げさな。おれひとりなら逃げられる。あんたは、妻子がいるのなら、逃げられはしないのだろう?」
「逃げるつもりだったのか」と、歩兵隊長が叫んだ。
「なんてやつだ。……閣下、やはり、こいつの縄を解くのは危険です」
「もう逃げないと言っているではないか。もう逃げる必要もない」
 エイリーク卿は、視線をダグからレイヴに移した。
「逃げ出さなくても、おまえがひどい目に遭うことはない。誓ってもいい」
「親切にしてくれるのはうれしいが……。あんたが王さまににらまれるんじゃないのか?」
「心配するな。陛下は狭量な方ではない。おまえが来年の春までおとなしくしていて、また戦に加われば、わたしもおまえも咎められることはないだろう」
「ずいぶん信用しているんだな、王さまを」
「当然だ。陛下はわが剣を捧げた主君だし、父亡き後、ずいぶんよくしてくださったのだ」
「ふうん」と、レイヴは気のない返事をした。グンナル王にそれほど好感を感じてはいなかったので、エイリーク卿の王に対する信頼が理解できなかったのだ。
 だが、レイヴは、わずかな会話だけで王の人柄を把握できたと思うほど独善的ではなく、自分に理解できないものを否定するほど頭が固くもなかったので、エイリーク卿の言葉に水をさすようなことはしなかった。

 エイリーク卿は、食事が終わったあとも、レイヴに縄をかけさせなかった。歩くときも夜寝るときも、他の兵士たちと同じように、まったくの自由の身にしてやった。
 歩兵隊長や腹心の騎士たちは、レイヴが脱走するのではないかと心配したが、どうやら逃げ出す気配がなさそうなのを見て、うるさく言わなくなった。
 よく考えてみれば、身寄りがないうえに、魔族を連想させる不吉な黒髪の持ち主とあっては、自由の身となっても、冬を越せるようなまともな仕事は見つかるまい。それなら、おとなしくエイリーク卿について行ったほうが、食事と寝床を確保できる。それなら、わざわざ逃げ出したりはしないだろう。
 歩兵隊長や騎士たちは、レイヴの心のうちをそう推測したのだった。
 エイリーク卿はといえば、レイヴに恨まれてはいないと知ったのちは、ずいぶん気が楽になり、気心の知れた騎士たちに対するのと同じように、彼によく話しかけた。罪の意識から解放されたためばかりではなく、まわりが自分の部下ばかりになった気楽さや、わが家を目前にした喜びから、エイリーク卿は陽気だった。
「おまえは、好いた女性はいないのか?」と、エイリーク卿はレイヴに訊ね、返事も待たずに言葉をつづけた。
「身を固めるというのもいいものだぞ。わたしも妻をめとるまで知らなかったが」
 腹心の騎士たちが、思わず顔をほころばせる。エイリーク卿が愛妻家だというのは、彼らのあいだでは周知の事実だったのだ。
 騎士たちは、エイリーク卿がレイヴに好意を示すことに対して、卿が王ににらまれるような事態になりはすまいかという、一抹の不安を感じていたのだが、郷里を前にして浮かれている卿を見ると、そんな心配も忘れて、ほほえましくなってくる。自分たちもまた、なつかしい家族との再会を目前にしているのだから、なおさらだった。
 レイヴもまた、そんなエイリーク卿を見て、無愛想な表情をほころばせた。
 同じ言葉でも、説教がましく言われたのならうんざりするところだが、説教しようという気持ちなど、エイリーク卿にないのは明らかだ。
「貴族は政略結婚しかしないから、夫婦に愛情がないのはふつうだと聞いたが、そういうこともないんだな」
 言いにくいことをずけずけと言うレイヴに、エイリーク卿は朗らかに笑った。
「わたしもまあ、政略結婚というほど大げさなものではないが、家のために、一度しか会ったことのない女と結婚したのさ。だから、期待なんてしてはいなかった。けれど、カーラはたいへん情熱的な女でね。熱烈にわたしを愛してくれた。で、こちらも、気がつけば、彼女がいとしくてたまらなくなっていたというわけさ」
 周囲の騎士たちのあいだから、クスクスと笑い声が上がる。バカにしているわけではなく、好意的な笑いだ。彼らはこの騎士団長を好いており、その愛妻家ぶりをほほえましく思っていたのである。
 エイリーク卿ののろけを聞いていると、冬のあいだだけとはいえ平和が訪れたことを実感し、うさんくさい罪人への疑惑も薄れていく。
 この囚われの兵士は、命令を破ったとはいえ、ともあれエイリーク卿をかばおうとしたのだ。ならば、心配するほどのことはないかもしれない。
 それで騎士たちは、一抹の不安を抱きながらも、それ以上レイヴのことを疑うのをやめたのだった。


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