魔族狩りの日・その1

異世界ファンタジー小説の1ページ目です。
「聖玉の王」の外伝にあたりますが、物語としては独立しています。

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 街道から少し奥まった薮の中に、少年がひとり、ひっそりと身を隠すようにして横たわっていた。
少年の名はレイヴ。年のころは十一、二歳ぐらいだろうか。髪の色は、このハウカダル島の人間には珍しい黒。上気した頬と額の汗、苦しげな息遣いから、病気で熱があるのだとわかる。
ここからほんの一刻も歩けばシグトゥーナ市で、市内には医師が何人もいる。レイヴとてそれを知らないわけではないし、そこまでたどりつける余力がないわけでもない。
だが、シグトゥーナに向かおうという考えは、この病気の少年の頭に微塵も浮かばなかった。
それもそのはず。レイヴは、自分の体の異常に気づいたときから、より安全な場所を求め、熱っぽい体を引きずるようにして、シグトゥーナからこの場所まで、わざわざやってきたのである。
そう。レイヴにとって、「安全な場所」とは、人に助けを求められる場所ではなく、だれにも見つからぬように姿を隠していられる場所だった。彼にとって、自分以外の人間というのは、病気のときに助けを求められるような対象ではなかったのだ。
盗みで食いつなぐ孤児たちを捕らえようと躍起になった役人たちから逃げるにも、レイヴを快く思わぬ他の荒くれ者たちから身を守るにも、病気で体の自由がきかないのでは、具合が悪い。
そのどちらに捕まっても、待ち受けているのは死か拘束か暴力。見つからぬようにするのが、身を守る最善の道だった。
だれか助けてくれる者がいるかもしれないという考えは、そもそも彼の念頭にはない。
それは、病気の獣が、体が快復するまで身を隠そうとするのに似ていた。
病気の獣は、ふだんの外敵から身を隠そうとするだけではなく、ときには、同じ種族の仲間からも姿を隠す。人に飼われている獣が、主人の目から姿を隠すこともある。
仲間であれ飼い主であれ、自分を生かすも殺すも自在にできる者の前に病んだ身をさらし、自分の生をゆだねるより、独力で病を癒そうとするのは、弱肉強食の世界に生きる多くの獣たちにとって、本能ともいえた。
病気の獣は、仲間に助けてもらえることを期待はしない。だれにも助けてもらえないことを嘆きもしない。病は自力で癒すのがごく当然のことだからだ。
レイヴにとってもまた、病は自力で癒すのが当然のことであり、人に助けを求めるという手段は思いもつかず、こうして人里離れた薮の中に隠れひそんで、病が癒えるのをじっと待っていたのである。

薮の中に身をひそめてから、いったいどれぐらいの時間が経過しただろうか。
どこかで、枯れ枝を踏みしめて歩く足音が聞こえ、レイヴは、熱でもうろうとしながらも、懸命に耳をそばだてた。
どうやら獣の足音ではない。おそらくは人間。道なき荒野や林の中を歩き慣れている者たちと思える軽やかな足取りだ。猟師か木こりといったところだろうか。
具合の悪いことに、足音はどんどんこちらに近づいてくる。
レイヴは、熱で荒くなった息を懸命に抑え、緊張して、足音が通り過ぎるのを待とうとした。
足音は、レイヴが隠れひそんでいる薮のすぐそばまで近づいてきて、そこでひとりが歩みを止めた。
見つかった……と、レイヴは感じた。
危険を感じてレイヴが薮から飛び出すのとほとんど同時に、足に鋭い痛みが走った。
足の皮膚が少し切り裂かれて血がしたたっていたが、レイヴは、痛みよりも、自分を取り巻く者たちに気をとられていた。
おとなの男が三人と女がひとり。男たちのひとりは薮に剣を突き立てており、あとのふたりも驚いたようすで剣をかまえている。
その好戦的な態度以上にレイヴを驚かせたのは、彼らの漆黒の髪、若葉の色の瞳、尖った耳。魔族を見るのは初めてだが、彼らが話に聞く魔族だということはひとめでわかった。
レイヴは、髪の色が黒いために、魔族の子ではないかと、シグトゥーナの人々に忌み嫌われてきた。そのため、魔族を恐れる気持ちを今まであまり持ってはいなかったのだが、生まれて初めて魔族を目にして感じたのは、やはり、自分とは異質の者たちに対する純然たる恐怖だった。
レイヴは、腰に吊していた鞘から短剣を抜き放った。
病気のうえに足をケガしており、しかも相手は本格的な剣を手にした戦士らしき男たち。勝ち目などあるはずはないのだが、自分の身を脅かす者に怯えるよりも、身を守るために戦うのが、幼いころからの彼の習性となっていたのである。
「子供?」
「いや、子供と思うな。いっぱしの戦士だ」
そう言うと、男たちのひとりが剣をふり上げた。
「やめて!」
女がいきなり両手を広げて割って入った。
「殺すことはないでしょ? まだ子供じゃないの」
「危ない!」
剣をふり上げていた男が、驚いて左手で女の手首をつかみ、引き寄せようとした。
「敵に背中を見せるんじゃない!」
「敵じゃないわ!」
女は男の手をふりほどき、かばうようにしてレイヴを抱きしめようとした。
あっけにとられていたレイヴは驚き、短剣を手にしたまま反射的に女をふりはらおうとした。
 はずみで短剣の切っ先が女の左腕の皮膚を裂き、血がしたたり落ちる。人間の血とまったく変わりのない深紅の鮮血に、レイヴはぎょっとなった。
生き延びるために人に傷を負わせたことは、今までに幾度もあった。だが、自分に危害を加えるつもりはなさそうで、しかも武器すら持っていない無防備な者に傷を負わせたのは、これが初めてだ。
「サーニア!」
「こっちに来るんだ! そいつは危険だ。子供と思うな」
「いいえ! この子は怯えているだけよ。無理もないわ」
 サーニアと呼ばれた女は、仲間たちの手をきっぱり拒否すると、レイヴに向きなおった。
「恐がらないで。何もしないわ。わたしたちのことをだれにも話さないと約束してくれれば、だれもあなたにひどいことはしない。信じてちょうだい」
 熱心に話しかけながら、サーニアは、今度は用心深く、そろそろと手を延ばした。そうして間近で見ると、彼女が若い娘であることが、魔族を初めて見るレイヴにもなんとなくわかった。
サーニアの用心深さは、その白い手がレイヴの腕に触れたとたんに消し飛んだ。
「ちょっと、あなた、ひどい熱じゃないの」
 いきなり額に触れられて、レイヴはぎょっとなった。彼の全身を恐怖が走ったが、それは先ほどとは違って、目の前の魔族の娘に対する恐怖ではなく、彼女をまたもや傷つけてしまうことへの恐怖だった。
魔族の男たちは、サーニアの無謀さにぎょっとなったが、彼らが行動を起こす前に、レイヴの手から短剣がすべり落ちていた。
「安心して。すぐに手当てしてあげるからね」
レイヴを抱きかかえて、安心させるようにサーニアがいった。その声音と腕の温かさはふしぎと心地よく、張りつめていた緊張が解けていく。
同時に、そうやって抱きかかえられた姿勢になると、自分が傷つけた彼女の腕の傷がいやおうなく目に入り、痛そうだと、レイヴは思った。
自責の念と安心感と、ここで気を失ったらまずいんじゃないかという思いがごっちゃになったまま、レイヴはそのまま意識が遠のいていった。


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