異世界ファンタジー小説の2ページ目です。
「聖玉の王」の外伝にあたりますが、物語としては独立しています。
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レイヴが目覚めたのは、簡素な小部屋の寝台の上だった。もう長いことまともな寝台で眠ったことのないレイヴは、柔らかく暖かい寝心地に、自分がどうしてこんなところにいるのか、つかのま思い出せなかった。
「おお、目が覚めたかね?」
のぞきこむようにして呼びかけた老人は、髪の色こそ白く、頭のてつべんが禿げあがって、人間の老人と変わりなく見えたが、若葉の色の目と尖った耳から魔族とわかる。
捕まったんだと、レイヴは思った。助けられたという考えは、すぐには浮かばなかった。
起き上がろうとするレイヴを、老人は制止して、また寝床に入らせようとする。
「起きてはいかん。まだ治っておらんのだから。この薬を飲んで、もういちど眠りなさい」
老人が、かたわらのテーブルに置いてあった角製の杯を取り上げ、レイヴに飲ませようとした。
レイヴは恐怖を感じた。得体の知れない者に得体のしれないものを欲まされることに対する恐怖はほとんど本能的なもので、レイヴは夢中で杯をひっくりかえすと、老人のみぞおちにこぶしを食いこませた。
どのようにすれば人間を確実に気絶させることができるか レイヴは経験的によく知っており、その方法は魔族にも通じた。老人がものも言わずにその場にくずれ落ちる。レイヴは体にかかっていた毛布をはねのけ、寝台から起き上がろうとして、自分の左足に目を止めた。白い清潔な布がていねいに巻かれていたからである。
そのときになってはじめて、レイヴは、自分が足に傷を負ったことを思い出した。
さすがに立ち上がろうとすると傷は少し痛んだが、横たわっていたときにはほとんど痛みを感じなかった。そのため、まわりの状況に気をとられていたこともあって、足の傷のことを忘れていたのだ。
どのぐらい眠っていたのかわからないが、あれくらいの傷を負えば、痛みは何日間かつづくはずだ。治りが早いのにも驚いたが。それと同じぐらい、レイヴは、傷の手当てがされていることに驚いていた。
魔族と最初に出会ったときのことを、レイヴは思い出した。熱で意識がもうろうとしていたので、夢でも見ていたように記憶があいまいなところがあったが、サーニアと呼ばれていた若い女が自分を助けてくれたことは思い出せる。
レイヴは老人を見下ろし、助けてくれたのかもしれないという可能性に、初めて思いあたった。
思わず気絶させてしまったが、悪いことをしてしまったかもしれない。
そう思ったが 魔族に対して敵対的な行動をとってしまった以上、ここでぐずぐずしていて他の魔族たちがやってくれば、彼らの警戒心を呼び起こしてしまうだろう。そうなれば、今度こそ殺されるかもしれない。さっさと逃げたほうがいい。
眠っているあいだに寝巻らしいゆったりした衣類に着替えさせられており、自分の服は見あたらない。むろん短剣も取り上げられているが この際しかたがない。
レイヴは寝台から降り、寒さに身震いした。それは実際の寒さのせいばかりではなく、まだ少し熱があったからなのだが レイヴは寒さのせいだと思いこんだ。
寝台のかたわらに横たわった老人がふと目に入ると、レイヴは、この肌寒さにしては老人が薄着すぎると思い、それがふいに気になりだした。寒い冬の日、シグトウーナの街で、顔見知りの物乞いの老人が凍死したときのことを思い出したのだ。
不安になって、レイヴは、老人を抱き上げて寝台に寝かせると、毛布をかけてやった。
部屋には明かり取りのごく小さな天窓がふたつあるだけで、そこから逃げるのは不可能だ。
それで、レイヴは、ドアを開けて部屋から出た。そこは、別の広い部屋で、まん中に大きなテープルがあって、まわりに椅子が並べてある。部屋には窓はなく、四方の壁に、レイヴが出てきたドアも含めて、全部で六つのドアがあった。
レイヴは六つのドアを見まわすと、あてずっぽうに、そのうちのひとつに手をかけた。どれを開けていいかわからなかったので、とりあえず、どれかひとつを開けることにしたのである。
そこは、レイヴが寝かされていたのとじぐらいの広さの小さな部屋で、寝台に魔族の若い女が寝かされており そのかたわらに、魔族の少年と少女がいた。少年はレイヴと同じぐらいの年齢に見え、少女は少し年下に見える。
少年と少女は、驚きのあまり硬直してレイヴを見つめていたが、レイヴが一歩前に踏み出すと、呪縛が解けたように少女がけたたましい悲鳴を上げた。
同時に、魔族の少年が、少女と寝台の上の女をかばうように前に出て、腰に吊してあった短剣を抜いてかまえた。態度は勇敢だったが実戦に慣れていないらしく、足や短剣を持った手はがたがた震えている。
レイヴは足を止めた。悲鳴を聞きつけて他の魔族が駆けつけてくるかもしれない。 つねのレイヴなら、さっさときびすを返して逃げるか 取り上げられた短剣の代わりに、とりあえずの武器として、魔族の少年の手から短剣を奪いとっていたはずだった。
だが、いま、レイヴは、少女の悲鳴がもたらす危険も忘れ、 その視線はふたりを通り越して、寝台の女に注がれていた。というよりも、包帯を巻かれた女の左腕に注がれた。
いやおうなく、自分をかばってくれた魔族の女を傷つけた記憶がよみがえる。あのときのことは、熱で意識がもうろうとしていたこともあって、夢のできごとのようにぼんやりとしか思い出せないが 自分が傷つけた白い腕から流れ落ちる深紅の血の記憶は、ふしぎなほど鮮明だ。
それに、女の顔ははっきりとは思い出せないのだが、どうもこの女ではなかったかという気がする。
女の顔は青白く血の気が失せ、少女のけたたましい悲鳴にも、びくりとも反応しない。そんな状態になった人間を、レイヴは何度か見たことがあった。
そんなはずはないと、 レイヴは心のなかで叫んだ。血が出ていたが、 そんな深傷ではなかったはずだ。死ぬほどの傷だったとは思えない。
だが、それならどうして、この女はこんな騒々しいなかで目覚めないのか? どうして肌がこんなに青白いのか?
確かめようと、レイヴが一歩踏み出し、少年が恐怖にうわずった声で叫んだ。
「近寄るな!」
レイヴは足を止め、初めて少年に目をとめた。
「その人は……サーニアって人か?」
「そうだよ」
レイヴがさらに近づこうとしかけたので、少年は泣きだしそうな声で叫んだ。
「来るな! ちくしよう。サーニアに触れさせないぞ。サーニアはおまえのせいでこんなふうになったんだ!」
「おれが……殺した?」
絶望と苦悩に満ちたその声と言葉に、少年と少女は、驚いてレイヴを見た。
少年は人間の十二歳、少女は十歳にあたり、その年代の人間の少年少女と同じ程度に未成熟な子供だったが、生きてきた歳月は同年代の人間の子供の七倍の長さになり、 そのぶん人生経験が多いので、経験にもとづく判断力や洞察力は、同年代の人間の子供よりはるかに優れている。そして、同年代の子供と同じように、彼らの心は若く柔らかく、敏感でもあった。
長い生によって得た洞京力と、子供らしい柔軟さとで、彼らは、目の前の人間の少年の誤解に気がっいた。恐怖が去り冷静になって見つめると、愕然と目を見開いて立ち尽くすレイヴの姿は、ひどく痛々しく、無防備に見えた。
「いや、違う、サーニアは……」
魔族の少年が誤解を解こうと口を開いたとき、部屋の外で騒々しい足音が聞こえた。少女の叫び声を聞きつけた他の魔族が駆けつけてきたのだ。
「クベ! ターナ! 無事か?」
その叫び声は、レイヴの足に傷を負わせた魔族の男のものだったが、レイヴの耳には遠くの雑音のようにしか入っていなかった。部屋に駆けこんでくる足音も、背後で剣を抜く音すらも無視して、レイヴは寝台に歩み寄った。
クベと呼ばれた少年は、今度は制止しなかった。この人間の少年が危険でないらしいことは感じ取っていたし、それよりも、部屋に駆けこんできた男のほうに気をとられたのだ。
「やめて、ガンザ!」と、ターナと呼ばれた少女が叫んだ。
「違うの! この子は違うの!」
「待ってくれ、ガンザ!」
ターナとクベの叫びとその表情、それにレイヴの頼りなげな歩みに、ガンザと呼ばれた男は、けげんそうにしながらも剣をしまった。
そのあいだに、レイヴは寝台に手を延ばし、恐る恐るサーニアの腕の包帯を巻いていないところに触れ、それから頬に触れた。腕も頬も死人のように冷たかった。
背後に立ってもふり返りもしないレイヴに、ガンザはただならぬものを感じて、肩に手をかけ、後ろに引き寄せて、その顔をのぞきこんだ。
「乱暴しないでくれ。そいつ、勘違いしてるんだ。サーニアが死んじまったと思って……」
クベは、短剣をしまうと、レイヴの手をとって熱心に話しかけた。
「おれの言い方が悪かった。サーニアは眠ってるだけだ」
「眠ってるだけ?」
「そうだ。疲れて眠ってるだけだ」
「眠ってるんなら、……なぜこんなに冷たい? どうして目覚めないんだ?」
「力を使い果たしたあとはこうなるんだ」
「力?」
「サーニアは……」
「よせ」と、ガンザがクベの言葉をさえぎり、厳しい目でクベをにらんだ。
魔族には、まれにふしぎな力をもつ者があり、ガンザもごくわずかな力ならもっている。とくにサーニアはその力が抜きんでて強く、レイヴの足の傷をふさぎ、危険なほどになっていた高熱を下げたのは、その力だった。
彼女のこの力は人間に知られてはならないと、ガンザは思った。
これが人間に知れたら、人間たちはやっきになって彼女を殺そうとするだろう。もちろん、サーニアの力のことがなくても、自分たちのことが人間に知られれば、それだけで命にかかわるのだが、サーアのカのことが知られれば、その危険が倍増する。
ふたりの会話でだいたいの事情が飲みこめたし、サーニアを殺めたと思いこんで、レイヴがどれほど大きな衝撃を受けたか、その表情や無防備な態度からわかったので、かわいそうにも思ったが、それならなおさら、自分たちの秘密をこの少年に知られるわけにはいかない。あまりにも多くの秘密を知られてしまうと、この少年を生きて人間の世界に帰してやることができなくなってしまう。
クベはといえば、ガンザににらまれ、たじろいで口をつぐんだ。こんな傷ついている者にまで、疑ってかかって秘密を守らなければならないと思うと悲しく、つかのま反抗的な気分になったが、秘密を守ることの重要性は、日ごろ言い聞かされてよくわかっている。
「ともかくサーニアは生きている。死人のように見えるだけだ。そのことに関して、おれたちがおまえに偽りを言ういわれはない」
「ああ、そういえばそうだな」
「わかったら、おまえの寝台に戻れ」
肩に手をかけられて押されるままに、レイヴはばうっとした表情で向きを変え、ふと寝台をふり返って、ぼつりと言った。
「寒そうだ」
「なに?」
「生きてるんなら、寒そうだ、あの人」
「きようはべつに寒くはないぞ?」
けげんそうにレイヴの顔を見下ろしていたガンザは、ふと気がついて、この熱を出していた少年の額に手をあてた。
「また熱がぶり返してるじゃないか。それで寒く感じるんだ」
ガンザは、外気からレイヴを守るように肩を抱きかかえて、元の部屋に連れ戻した。