同人誌で発表している長編小説のつづき18ページ目です。
この小説がはじめての方は「塔の街」1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。
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夕刻に《魔界の扉》の監視所に赴く市職員は、二人か三人一組で交代制だった。ラーブとリーズはつねに同じ組で、そこにもうひとり誰かが加わっていた。夜にだれもいない階段を行き来することになるので、リーズが若い女性であることと、ラーブが不穏分子に狙われる危険性を考えての配慮だった。
そういう事情から、ラーブたちに同行するのは、屈強の市職員のこともあったが、臨時仕事として雇われたレイヴのこともあった。
ラーブたちが監視所に行くのは二日か三日置きぐらいで、そのとき彼らを迎える監視員は、初対面の魔族のこともあれば、オレインやバドウェン先生といった顔見知りのこともあった。監視、とくに夜の監視には、万一の侵入者を察知できるよう、魔力の強い者が必須なので、ふたりとも、臨時仕事として雇われることがよくあるのだという。
監視員は交替の時刻まで監視所で過ごすが、ラーブたち確認のための市職員は、報告を受け、魔界の光を確認すると、すぐに戻る。光の長さは「変化なし」という状態が、先見の月の半ばを過ぎるまで続いた。
いつもと少し違う報告を受けたのは先見の月十五日。そのときの監視員のひとりはオレインだった。
「きのうより一レパ長くなってる」
ラーブたちがけげんそうな顔をすると、オレインが言い直した。
「失礼。リモー王国の単位を使ってしまったわ。この目盛り一つ分、長くなってるの」
オレインが、魔界の光の長さを測るための物差しを見せた。所定の位置から光の長さを測ると、いままで目盛り四つ分だったのが、確かに目盛り五つ分の長さになっている。
「《魔界の扉》が開くのか?」
「いいえ、たぶん大丈夫。いまの時期にこのぐらいの変化なら。去年も一昨年もこんな感じで、先見の月の終わりごろには目盛り七つ分ぐらいになって、そのあと次第に元に戻ったもの。扉の開き方は、ムグぐらいの小動物が通れるかどうかといったところね」
ラーブもリーズもほっとした。
「よかった。《魔界の扉》なんてなければいいのに」
リーズが思わず言うと、オレインが即座に言い返した。
「《魔界の扉》がなければ、リモー王国がザファイラ帝国に攻撃されたとき、わたしたちはたぶん殺されていたわ。それ以前にも、魔族がこちらの世界にやってくることは、ひとりとしていなかった。人間が魔族から得られた恩恵は、まったく受けられなかったわよ」
でも戦争も起こらなかった……と、リーズは内心で思ったが、口には出さなかった。暦の作成や飢饉の回避など、多方面で魔族の業績が大きかったことは、いまではよく知っていたからだ。
「《魔界の扉》の恩恵はそれだけじゃないわ。《魔界の光》そのものにも長所があるの。少なくとも、この地に生きるわたしたちにとってはね」
オレインの謎めいた言葉に、ラーブとリーズは興味をそそられ、目で続きを促したが、オレインはいたずらっぽい表情で、はぐらかすように答えた。
「そのうちわかるわ。そのうちにね」
ラーブたちに同行してきた市職員も、楽しそうにうんうんと頷いている。
「まもなくわかるよ。数日もすればな」
どうやら、《魔界の扉》に関係して、この街の住民たちが楽しみにするようなことがまもなく起こるらしかった。
翌日、ラーブたちが出勤すると、市長が言った。
「《魔界の扉》の点検に行く。去年と同じような状態だが、念にためにな。遠いので、出発は明日の早朝。帰りはたぶんその二日後だが、それより遅れる可能性もある。できればラーブ殿にも同行してもらいたいが、学校を休んでもらわなければならないし、きつい旅程にもなるので、無理強いはしない。どうする?」
「行きます」
「わたしも大丈夫です」
ラーブとリーズが口々に言うと、市長は残念そうに首を振った。
「申し訳ないが、今回はラーブ殿だけで、リーズ殿は留守番をしてもらえるだろうか? 船の人数がぎりぎりなので」
リーズは残念そうに頷いた。
翌朝、市長とともに山の地下にある隠し港に行くと、人数に制限があると言われた理由がよくわかった。
ラーブが隠し港に行くのは今回が初めてだ。というより、隠し港の存在自体を今まで知らなかった。
洞窟の中の湖が海へと続く隠し港になっており、三隻の船がつながれている。いずれも小型で、漁船のようだ。乗れるのはせいぜい二十人ぐらいだろうか。
実際、今回の同行者として集まったのは、ラーブと市長を含めて十八人。そのなかには、オレインとオロファド、サーニアとテト、バドウェン先生、レイヴといった顔見知りが何人もいる。役所の職員が市長とラーブのふたり、現地でいろいろ調べるための学者がひとり、魔力の強い者が六人、剣や弓などの戦闘力が高い護衛四人、船長をはじめとする操船要員が五人という人選なのだという。
「見ての通り、ふだんは漁船として使っている船だ。もちろん帆も櫂も使えるが、それでは片道二日か三日ぐらいかかる。そうなると人間の漁船と遭遇する危険もあるし、ザファイラ帝国の動向もわかっていないから危険だ。そこで今回は、おもに魔力を使って迅速に移動することにした。とはいっても、魔力を使っての移動が難しい状況が発生して帰りが遅れる可能性も考慮して、四日分程度の水と食料も積んである」
「すごい。魔力を使える人が六人いれば、こんな大きな船も動かせるんだ」
驚くラーブに、オレインが自慢そうに言った。
「動かすだけなら、ひとりでもできるわよ。ただ、遠くまで行くには、交替で休憩をとる必要があるというだけよ」
その言葉通り、船が水路を通り抜けて海に出たあとは、基本的に六人のうちひとりが操船に当たり、ひとりが非常時に備えて補助としてつき、あとの四人は寝室で休むという体制に入った。ひとり一回あたりの操船時間はほぼ一刻(九十分)。そのあとは補助をしていた者が操船を担当し、操船していた者は休息のため船室に入り、休んでいた四人のうちの一人が補助をするために寝室から出てくる。魔力を使った後は昼夜を問わず深い眠りを必要とするので、こういう形で交替するのがよいのだという。
魔力を使っての航行は驚くほど速い。そのため甲板の風は強く、柱につかまっていないと吹き飛ばされそうなほどだ。
それで、ラーブたちは、おおかたの時間を船室で過ごした。ラーブにあてがわれたのは、市長やレイヴも含め男性乗組員のうち六人共用の部屋で、市長はラーブとともに船室にいることが多かったが、レイヴは非常時に備えて甲板にいる時間が長かった。
とくに非常事態に遭遇することもなく、船は、翌朝、日の出とともに島に到着した。ほんとうはもう少し早く着こうと思えば着けたのだが、夜を島で過ごすのも、島の海岸に停泊して過ごすのも避けたほうがよいというので、夜明けに到着するよう、速さを調節したのだという。
「《扉》が開いていないのだから、ザファイラ帝国の者が島にいる可能性は低いと思うがね。彼らの行動は予測できないようなところがあるから。念のためだ」
市長がそう説明し、オレインたちも頷いた。
《魔界の扉》は、なんとなく想像していたのと違って、扉というより、何もない空間に伸びる光の線というふうに見えた。
「扉には見えないね」
ラーブが言うと、オレインが答えた。
「門や家の扉とはわけが違うわ。魔界は、こことは別の世界、別の空間なの。同じ世界であれば、壁で仕切られて、扉が設けられるのでしょうけど、そうじゃないの。別の世界との間に隙間が開いて、光が漏れ出ているのよ」
「別の世界……」と、ラーブがつぶやいた。
魔界が別の世界だと聞いたことはあったが、なんとなく、魔族が北から攻め込んでくるとか、あるいは地底から攻め込んでくるようなイメージがあった。それを覆すような光景を、ラーブは食い入るように見つめた。
「この太さなら、ムグの小さいのがかろうじて通れるという程度だな」
学者のワラン先生の言葉に、市長が頷いた 。
「うむ。通り抜けてきているのがいないか、探してみよう」
そう言って、市長はラーブに説明した。
「ムグは《塔の街》でも貴重な食量になっているだろう? できれば、魔界から来た新しいのをときどき加えて繁殖させたほうが、丈夫な仔が生まれるんだ」
ラーブは頷いた。外部からの新しい血が入ったほうがいいというのは、ムグに限らず、家畜全般に言えることだという知識はある。
「あ、いた」
仔というほど小さくはないが、おとなにはなっていないというぐらいの小さなムグを見つけ、ラーブが手を伸ばす。
「触るな!」
ラーブが触れるより一瞬早く、レイヴが剣の鞘でそのムグを弾き飛ばした。
「え? 何?」
ラーブが驚いてレイヴを振り向いた。
「あ、いや。何か危険な感じがしたんだ。どこがと聞かれると、俺にもよくわからないのだが」
「病気にやられている」と、学者が口をはさんだ。
「変だな。ここにはネズミがいないのだから、ネズミからうつるような病気に感染するはずがないのだが」
「引き上げよう」と、市長が決断を下した。
「われわれが来ることを予測して、ムグに病気が仕込まれている可能性が高い」
一同に緊張が走る。市長は、船に引き上げるよう指示を出すとともに、全員の靴裏を点検した。一同が船に乗り込むと、サーニアが、何かの薬液を浸み込ませた布を全員に配った。
「念のために、これで手を拭いて。レイヴ、あなたはさっきムグを払うのに使った鞘も拭いておいてね」
一同が言われたとおりに手や鞘を拭き、船が出航すると、魔力を使える者たちは、船を動かすのに専念する者ひとりを除いて、敵に監視されていないか索敵する。沖に出てようやく交替で休憩をとるようになったが、往路より監視に気を配り、休憩をとるのは三人ずつという強行軍だった。
「どうしてあのムグが病気だと気づいたんだ?」
一息ついたところで、ラーブがレイヴに訊ねた。
「そう訊かれると、うまく説明できない。ただ、俺は、野生のムグを食ったことが何度もあった」
ラーブは息を飲んだ。野生のムグはネズミから病気をうつされている危険が高いというので、食べてはいけないとよく言われる。だが、日々の食べ物に事欠く貧しい人々は、野生のムグを捕まえて食べることも多いと聞いたことがある。そればかりか、ネズミさえ食糧にする者もいると聞いたこともあった。
そんな危険を侵さなければならないほど飢える者がいないようにするのも、統治する者の責任だと、ラーブは思っている。
「そういう野生のムグに比べて、どこかが違うような気がしたんだ。動きがとろいというか……。ラーブでもかんたんに捕まえられそうだった。野生の若いムグをラーブが手で捕まえるのは、たぶん無理だと思うのだが」
「悪かったね」
ラーブが少しムッとした顔をした。
「ガキの頃、そういう動きの鈍いムグを捕まえたところ、妙に熱くて、気持ち悪くて放り出したことがあった。その次の日だったか、下痢をして熱を出して、ひどい目に遭った。あとから振り返れば、そいつを触った手を洗わずに別の物を食ったのがまずかったんじゃないかという気がする」
「たぶん、その通りだろう」と、横で聞いていたワラン先生が言った。
「食べていれば、もっとひどい目にあっただろう。へたをすると死んでいたかもしれん。手を洗わなかったのはまずかったが、食べなかったのは賢明だった。きみは勘がいいな。今回も、ムグの動きだけで異常に気がついた」
ワラン先生の言葉に、市長も頷いた。
「レイヴと先生がいなければ、わたしは気がつかなかった。叫び声で、初めてあのムグがいた近くに緑がかった糞が落ちているのに気がついたんだ」
「わたしも、レイヴの声で注視してあの糞に気がついた。健康なムグの糞はもっと黒くてコロコロしている。あんな緑がかった下痢便は病気の証拠だ」
ワラン先生と市長の言葉で、ラーブたちは、靴裏の検査をされた理由に気がついた。
「だれかが踏んづけたかもしれないというので、靴の検査をしたのですね」
「そうだ。小さいし、地面に落ちていても気づきにくいからな。うっかり踏んづけて、気づかずに船に持ち込んだら危険だ」
「で、それはどういう病気なのですか」
「緑がかった下痢便をする病気はいくつかあるが、わたしの知っている限りでは、いずれも、こちらの世界でネズミから感染する病気だ。で、いずれも、魔族にも人間にも感染する。下痢をする程度ですむものもあるが、危険なものだと、多数の死者が出ることもある」
「あの島にネズミはいないのですよね」
「いない。ネズミが生息するには寒すぎるし、そもそも他の陸地から切り離されているから、ネズミが渡ってくるのは無理だと思う」
「ということは、やはり、ザファイラ帝国の者が放ったのでしょうか」
「その可能性は高いな。たぶん、たまたま見つけた病気のネズミか病気のムグをあの島に連れてきて放ち、魔界からきたムグに感染するように仕向けたのだろう。そういう病気のムグがいるうちにわれわれが来るかどうかは、賭けだっただろうと思うがね」
「それにしてもわからないのは」と、ラーブが首をひねった。
「病気にかかったムグが再び《扉》を通り抜けて、魔界に戻るかもしれないとは考えなかったのでしょうか? そうなったら、自分たちの故郷だって危険なのに」
「ああ、それは、ムグの習性からいって、まずないだろうな。ムグは、数が増えすぎて餌が乏しくなると、群れの一部が餌場を求めて移動する。《扉》を通り抜けてこちらの世界に来るのは、そういうムグだ。わざわざ餌の乏しくなった元の世界に戻らないと思う」
「そういうことですか」
それにしても気分の悪いやり方だと、ラーブは思った。ザファイラ帝国の間諜たちと剣を交えての戦闘になるより、こちらのほうが不気味で恐ろしい。
船は、翌朝には《塔の街》の港に着いたが、一同は、すぐに上陸することはできなかった。感染していないか確認するという市長の指示で、三日間を船で過ごすことになったのだ。
船での隔離生活にさほど不自由はなかった。食事も水も街から運ばれてきたので、船に積み込まれていた非常食に頼ることなく、毎日おいしい食事を食べることができた。毎日水で体を拭いて、あるていど清潔さを保つこともできた。
まんいち病人が出た場合の対策も講じられた。サーニアが、食事を運んできた市職員に、自分の部屋から指定した薬草と薬を持ってきて欲しいと思念で伝え、その要求がすみやかにかなえられたのだ。それらの薬が確実に効くとは言い切れないが、症状をやわらげて快方に向かわせる効果があるていど認められているということだった。
レイヴや戦闘員たちは毎日剣の鍛錬を欠かさず、ラーブもよくそれに加えてもらった。オレインやバドウェン先生など、他の者がそれに加わることもあった。市長や学者との会話も、欠席しなければならなくなった学校の授業を補って余りあるほど学ぶべきことが多く、有意義だった。
充実した三日間ではあったが、それでも、洞窟内の港に留まっていなければならないという閉塞感と、誰かが病気を発症するのではないかという不安から、ずいぶん長く感じられた。
幸い、誰も病気を発症することなく三日が過ぎ、ようやく一同は、ほっとしながら元の生活に戻ることができたのだった。