暗い近未来人の日記−安藤さんの話・3 |
日記形式の近未来小説です。主人公は大学4年。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2003年12月22日UP |
2092年11月13日
きょう、通りを歩いていたら、いきなり街頭アンケートに声をかけられた。べつにめずらしくもないんだけど、例の健康ドリンクについてのアンケートだ。
なんだかいやな感じがした。まさかと思うけど、わたしのあとをつけてきて、わたしを狙って声をかけてきたんじゃないかと思ったんだ。考えすぎかもしれないけど。
「急いでますので!」
どなりつけるように言うと、横目でにらんで、小走りに手近なデパートに駆けこんだ。
あれがもしも犯人の一味だったとしても、あの態度でべつにまずくはなかったと思う。街頭アンケートやキャッチセールスに出くわしたら、わたしはいつもああいう態度をとっているから。
デパートの中に入って入り口をふり向くと、街頭アンケートは追いかけてこなかった。
ま、街頭アンケートがデパートのなかまで追いかけてきたら、思いっきりあやしいわな。それこそ、悪質なキャッチセールスとまちがえたふりして、騒ぎたてればいい。デパートの警備員が駆けつけてきて、助けてくれるだろう。
反対側の入り口から出ようかと思ったけど、デパートのなかでしばらく時間をつぶしたほうがいいと思って、地下食料品売場に降りた。
で、ゲッと思った。例の健康ドリンクの試飲をやっていて、デモンストレーターのおばさんがそれの入った小さな容器を通りすがりの人に差し出してるんだもの。
何も知らずに飲んでいる人たちを見ると、思いっきり叫びたい。「それには発ガン物質が入ってるんだよ」って。
そう思ったとたん、飲みかけていた若い女性が、「えっ」と小さな声を上げて、容器を落とした。
おばさんがけわしい顔になって、女性があやまった。どこかで見たような感じだ。しばらく考えて、以前に変な会社の面接にいったとき、帰りがけに出会った人と感じが似ていると思った。
とはいっても、ちょっと話しただけだし、わたしは人の顔を覚えるのは苦手だから、同じ人だと確信があったわけじゃない。あの人の顔、ちゃんと覚えてなかったし。
ただ、ちょっと似ているように感じただけだったのだが、その人はこちらをふり向いて言った。
「ひょっとして、D社の面接会場でお会いしませんでした?」
「あっ、あのとき帰りがけに会った方? 奇遇ですね」
驚いた。やっぱりあのときの人だったんだ。
その人は、なにか聞きたそうな、だけど、ためらっているって表情になった。
まるで、さっきのわたしの心の叫びが聞こえたみたい。それとも、わたしがよっぽどけわしい表情をしていたのか。
偶然に二度会っただけの人だけど、いちおう顔見知りになると、あの健康ドリンクのことを教えてあげたいと思った。
でも、どう言えばいいんだろう? あの健康ドリンクはかぎりなくあやしいんだけど、安藤さんの死と結びつける決定的な確証はない。わたしの思い込みという可能性だってありうる。
と、その人はわたしの背後の一点を見つめて、驚いた顔をした。
反射的にふり向こうとすると、頭のなかで『ふり向いちゃだめ』と、声が聞こえたような気がした。
居眠りしているわけでもないのに、幻聴が聞こえるなんて。
そう思ってちょっと混乱していると、彼女が小声で「尾行されてるみたい」とささやいた。
気がつかなかった。あの街頭アンケートが追いかけてきたんだろうか?
「オリーブ色のトレーナーの若い男だけど」
それなら、あの街頭アンケートではない。街頭アンケートは関係なくて、そのオリーブ色のトレーナーの男がずっと尾行してきていたんだろうか? でなきゃ、ふたりはグルって可能性もある。
「ありがとう」
彼女にお礼を言って、その場を立ち去った。男が追いかけて来にくい売場にいって、さりげなくまくつもりだった。ちょうどいいタイミングでエレベーターに乗れればいいと思って、エレベーター乗り場にいったけど、待っているあいだに、そいつもそばに来てしまった。
恐かったけど、気づいていないふりをしたほうがいいと思って、そのままエレベーターに乗ったら、そいつも乗り込んできた。
そういう場合のことは考えてあった。三階にランジェリー売場があるから、そこにいくことにしたんだ。
運よくランジェリー売場がバーゲンをやっていて、わたしといっしょに降りた女性たちの何人かが、そこに流れた。
ランジェリー売場はコーナーになっていて、他の売場と区切られている。中に入って、さりげなく入り口をふり向くと、男は中に入れずにうろうろしていた。
わたしの視線につられたのか、そばにいた女性がふと顔を上げて男に気づき、連れらしい別の女性にささやいた。
「ねえ、あの人、ちょっと変じゃない?」
連れの女性も顔を上げた。
「だれか待ってるんじゃないの?」
「でも、あの人、さっきのエレベーターからいっしょだったよ。連れがいるって感じじゃなかったと思うけど?」
観察眼の鋭い人だなと感心した。わたしだったら気がつかないよ、きっと。
彼女たちの会話を耳にしたのか、何人かがばらばらと男を見た。
店員さんがきびきびした足取りで男に近づいていくと、男はこそこそ逃げていった。
すぐには出ないほうがいいと思って、しばらくバーゲン品を物色して、買物をしてから売場の外に出た。いつもはデパートで下着とか買わないんだけど、ワゴンセールのとか、いつも買っているスーパーのと同じぐらいの値段になってたしね。
で、ランジェリー売場から出て周囲をみまわしたら、三十分ぐらいはたったと思ったのに、少し離れたスカーフ売場にその男がいて、店員となにか話している。反対方向に足早に歩いてふり向くと、人ごみの間から、そいつがこちらにくるのが見えた。
手近にトイレのマークが見えたので、とっさにそちらに向かって、トイレに入った。女性用のトイレまで追ってはこれないと思ったのだ。
でも、入ってから、まずかったかもと思った。デパートのトイレにしてはめずらしく、個室が二つほどふさがったきりで、すいていたからだ。
とりあえず個室に入ってカギをかけたけど、これじゃ逃げ場がない。どうしたものかと悩みながら二十分ほど個室にいて、結局、だれかが出ていくときにいっしょに出ようという結論に達した。
ときおり足音や個室のドアを開閉する音が聞こえるから、出入りしている人はいるみたいだ。
ついでに用を足し、どこかのドアが開いたのにつづいてドアを開けた。
と、トイレじゅうに悲鳴が響いた。さっきの男がトイレに入りこんで、先にドアを開けた人とはちあわせをしたのだ。
女性用トイレで個室から出たとき、目の前に男が立っていれば、そりゃあ、びっくりするだろう。
わたしはとっさに個室に備えつけの非常用ボタンを押した。
男が逃げ出そうとしたとき、ちょうど掃除係のおばさんが入ってきた。どう見ても六十代以上になっていそうな年配の人だったけど、「痴漢」という叫びを聞いて、勇敢にもモップで男になぐりかかった。
まるでロールプレイング・ゲームのアクション・シーンのように、モップの一撃は男の頭上にみごとに決まった。
なんてかっこいいおばさんなんだ。
男はその場にうずくまったが、まもなく起き上がった。
「この、くそばばあ!」
男がおばさんにつかみかかったので、わたしは折りたたみガサを取り出して柄を伸ばし、男の頭を後ろからぶっ叩いた。おばさんを助けなきゃと思ったんだ。
もうひとりの女の人も同じことを考えたらしく、靴を脱いで、ハイヒールの踵で男の頭を叩いた。
そのあいだに別の個室から出てきた女性ふたりと、男性用トイレから出てきた男の人は、関わりたくないという感じでそそくさと去っていった。
やがて、デパートのガードマンらしい男の人三人が駆けつけて、男は、「てめーら、それでも女か!」と、お約束のセリフをわめき散らしながら連れ去られた。
おかげで、やっとデパートを出て家に帰れた。あの男がどこの何者で、だれに頼まれてわたしのあとをつけていたのか知りたいとは思ったが、まあ関わらないほうがいいだろう。ガードマンさんたちが取り調べたりするだろうし。
地下で出会った女性と最初にどこで出会ったのか気になる……という方は こちら へどうぞ。
ラストあたりでちょこっと登場して、いっしょに会社を出る女性です。
この話の伏線にはなっていて、このあとまた登場するキャラで、お読みになればよりわかりやすいかもしれませんが、読まなくても話はわかります。
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