聖玉の王ー塔の街・3

同人誌で発表している長編小説のつづきの3ページ目です。
はじめての方は1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。

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「塔の街」1ページ目 前のページ 次のページ

 そこは半円形を少しいびつにしたような形の岩棚で、洞窟の出口は半円形の円弧にあたる部分の中央より向かって左寄りにある。その少し右側、円弧の中央あたりにも、別の洞窟があった。
 いましがた四人が出た洞窟の出口は、ふたりが並んで立てるぐらいの幅があったが、もう一つの洞窟の口はもっと狭い。岩棚の円弧の部分では垂直に近い絶壁が上方に伸び、半円の直線にあたる部分は宙に向かって開けている。おそらく下をのぞけば、やはり垂直に近い絶壁が下方につづいているのだろう。
 たしかにここに立つのは四人ていどにしておいたほうが賢明だろうと、ラーブは思った。
 なにしろ、高いところだけに風がすさまじい。円弧になった絶壁沿いにいれば平気だが、岩棚の縁あたりでは吹き飛ばされそうなほどの強風だろうというのは、風の音を聞いただけでわかる。
 ラーブはとくに高いところが恐いというわけではないが、あの縁に近づきたいとは思わない。
「街なんてないじゃない」
 リーズが言い、テイトが「あの洞窟でしょう」と答えたが、オレインに一蹴された。
「違うわよ。言っとくけど、ここに勝手に入っちゃだめよ。侵入者がいた場合に備えて、罠もつくっているからね」
 そう言いながら、オレインはもう一つの洞窟の入り口を通り過ぎ、一同はあとにつづいた。
 すると、岩壁の一部に縦一直線の亀裂が走り、襞のようになっているのがわかった。オレインはその襞のなかに入っていった。
 襞の入り口は体を少し斜めにしなければ通れないほど狭かったが、内部はその倍ぐらいの幅があり、奥行は、四人が身動きできるゆとりを残しながら並んで立てるという程度だった。
 襞のいちばん奥で、オレインは首飾りの石を手にして上を向いた。その石が、遠く離れた相手と心で会話するためのものだということは、これまでの経験から容易に想像がついた。
 オレインのじゃまをしないようにしばらく待っていると、彼女とラーブの間に、はるか上のほうからロープが降りてきた。
 オレインは、ロープの端をつかんでラーブの胴にまわそうとした。
「何をする気だ!」
 テイトが叫んだ。質問というより非難の叫びといったほうがよさそうな、不信感に満ちた声だった。
「見てわからない? これで引き上げるのよ」
「冗談じゃない! 切れたらどうするんだ!」
「切れないわよ。人間が使っているような、やわなロープじゃないんだから。わたしたちがいつも使っているのよ」
「だいじょうぶだよ」と、ラーブが上を見上げて口をはさんだ。
 上空はもやに包まれていて、ロープがどこまでつづいているのかよくわからない。それを見れば、恐怖と不安を感じずにはいられないのだが、それほど危険ではないはずだと、ラーブは判断していた。
オレインは大胆不敵なところがあるが、無謀ではない。念じただけでものを持ち上げる力を持ちながら、自分のその力ではなくロープを用いるからには、ロープのほうが確実で安全なのだ。それに、帰るルートがそれほど危険なら、おいそれと山を降りたりはしないだろう。
「わたしが最初に行ってみる」
 ラーブがそう言ってオレインのほうに手を伸ばすと、テイトがあわてて叫んだ。
「とんでもない! わたしが最初に試します」
 オレインが言い返そうとするのを、ラーブが制した。
「テイトのいうとおりにしてくれる?」
 ほんとうに危険だと思っていたら、ラーブはそんな言葉を口にしなかっただろう。
 歴史の本や吟遊詩人の歌で語られる昔の物語では、王や高位の騎士などが危険な場所に赴くとき、従者や家臣や部下を先行させる場面がよく登場する。だから、それがふつうのことだとラーブは知っていたが、同時に抵抗も感じていた。
 まして、ラーブは、テイトのことを従者とは思っていなかった。七歳のときからずっとともに暮らした兄同然の近しい人間であり、親友なのだ。
 それなのに、テイトが先に行くのにあっさり同意したのは、それほど危険を感じておらず、どちらが先でもたいした違いはないと思っていたからである。
 どちらでもいいのなら、ラーブの安全を最優先しようとするテイトの気持ちを斥けることはない。
 ラーブの言葉に、オレインはとくに反対せず、テイトの胴にロープを巻きつけた。
 ラーブたちは、テイトがロープで上に引き上げられ、霧のなかに飲み込まれていくのを見送った。
ラーブは、テイトが危険だとは思っていなかったが、それでも姿が見えなくなると、なんとなく不安を感じた。かたわらのリーズをふり向くと、蒼白な顔で上を見上げており、ラーブ以上に不安を感じているのが見てとれた。
 その視線を感じてか、リーズがふと視線をラーブのほうに移し、ふたりの目が合った。
「だいじょうぶだよ」
 ラーブが言ったとき、頭上からテイトの声が聞こえた。
「ラーブさま、聞こえますかあ?」
「聞こえるよ」
 ラーブはふたたび上を向き、姿の見えないテイトに向かってよびかけた。
「だいじょうぶか?」
「はい! 無事に着きました。危険はないようです。ラーブさまたちもお上がりください」
 まもなく、頭上のもやの中から、ふたたびロープが下ろされてきた。そのロープの端を手にしたラーブは、リーズのほうをふり向いた。
「じゃあ、リーズ、次に行くかい?」
 テイトがすでに上にいるのだから、女の子たちを先に行かせて、自分が最後になるのがいいだろうという判断だった。
 ラーブとしてはごく自然な発想だったのだが、リーズは顔をまっ赤にして手を後ろにまわし、ラーブの申し出を拒否した。
「いやよ!」
 思いがけない反応に、ラーブはとまどった。
「なんで?」
 意外なことに、オレインまでがリーズの味方をした。
「まったく鈍感ね。女心が全然わかっていないんだから」
「お、女心?」
「いいから、あなたが先に上りなさい」
「それはいいけど、でも、なんで?」
「上っていくところを下から見上げられるのはいやだって言ってるのよ。わたしもいやだからね」
 ラーブは赤くなった。そういうことは考えてもいなかったのだ。もしもふたりが旅のために男の子のような服装をしていなければ、そういう配慮をしたかもしれないが。
「だ、だって、ふたりともスカートじゃないし」
「ズボンでもいやなの! いいからあなたが先にのぼりなさい」
 それで、ラーブが自分の胴にロープを巻きつけると、まもなく体が上に引き上げられはじめた。
 こういうふうにして足が地面を離れるのは初めての体験なので、思っていたより怖い。
 まもなく周囲が霧に包まれ、下が見えなくなると、かえってほっとした。
 どのぐらい引き上げられたろうか。
 引き上げられる速度が遅くなったような気がしたとき、「ラーブさま!」とテイトの呼び声がした。
 まもなく上昇が止まり、霧を通して、すぐ近くに何人かの人影が見えた。そのうちのひとりがテイトだということも見てとれた。  別の人影がテイトを手で制し、ラーブに近づいて手を差し伸べた。霧ごしにでも、若くて背の高い男だとわかった。
「わたしにつかまりなさい」
 ラーブは相手に向かって手を伸ばした。すると、男は、ラーブの手を取って引き寄せた。
「足が着いたか?」
 男が訊ねるのとほとんど同時に、ラーブの足が地面に触れた。
「はい」と答えながら、ラーブは懸命にうまく立とうとしたが、足がふらふらしてよろめいた。男が支えてくれていなければ、転んだかもしれない。
 それでも、ふらついたのはつかのまで、まもなくラーブは、地面を踏みしめてしっかり立つことができた。
 それを察したらしく、男の手が離れ、かわりにテイトがラーブの腕をつかんだ。
「ああ、よかった。ラーブさま、ご無事で」
 テイトの喜びようを大げさだと思う一方で、自分のことをつねに案じてくれるその声を聞いて、ラーブはほっとした。ロープで宙づりになって引き上げられるのは、やはり、ことのほか不安だったのだ。
「うん、ありがとう。だいじょうぶだ」
 答えながら、ラーブは、いましがた上がってきた崖下のほうに顔を向けて呼びかけた。
「おーい! 聞こえるか? 無事に着いたよ!」
 そのかたわらで、ラーブを引き上げてくれた魔族の男が再びロープを下ろし、しばらく待ってから、よくわからない言葉で仲間に声をかけて、ロープを引き上げはじめた。
「手伝います」とラーブが言うと、「いや、いい」と断られた。
「それより、次のが上がってきたら、安心させてやれ。慣れないとけっこう恐いからな」
 ぶっきらぼうだが気さくな物言いに、ラーブは安堵感を覚えながら「はい」と答え、素直に従った。
 力仕事を手伝いもしないのは心苦しくて助力を申し出たのだが、断られてみると、慣れない者が下手な手出しをしないほうがいいのかもしれないと思い至ったのだ。
 やがて上がってきたのはリーズだった。
 テイトがしてくれたように腕をとると、がちがちに緊張しているのがわかった。安心させたくて、「もうだいじょうぶだよ」と言いながら思わず抱きしめると、そばで冷やかしの声が上がる。
「お熱いね。婚約者だって」
 驚いて、ラーブはリーズから体を離した。魔族は夜目が利くと知ってはいたが、どうやら霧のなかでもよく見えるのだろう。
 べつに恋人どうしのような意味はなく、もっと子どもだったころ、悲しみや恐ろしい体験を共有したときに思わず抱き合っていたのと同じような気持ちからだったが、こんなふうにからかわれると恥ずかしい。それに、何年ぶりかで抱きしめた感触が子どものときとは違うのもわかって、うろたえてもいた。
 照れくさいのはリーズも同じで、「もう」と怒ったような声を上げた。
「恐くなんかないわよ。子ども扱いしないで。失礼ね!」
 魔族たちやテイトを意識して、怒り方がいいわけがましくなったが、ラーブはそれに気づかず、言葉通りに受け取った。
「ごめん、子ども扱いするつもりはなかったんだけど」
「ちょっと」と、リーズの声がけわしくなる。それまで怒ったふりをしていたのに、本気の怒気がこもった。
「子ども扱い……したのね?」
「え?」
 周囲でテイトのため息と魔族たちのくすくす笑いが聞こえたので、ふたりは黙り、その話を打ち切った。
 そのあいだも次のロープの準備をしていた魔族が、崖とは反対の方向を指さしながら声をかける。
「あんたらはそっちの洞窟に入ってくれ。この岩棚は狭いからな」
霧でうっすらとしか見えないなか、足元に注意しながら指されたほうにいくと、まもなく手が岩壁に触れ、洞窟に入ることができた。
 洞窟のなかは霧が薄く、あちらこちらに光る苔もあるので、岩棚にいたときよりかえって周囲がよく見える。そこで待っていると、一行が次々と順にロープで上ってきて、やがて全員がそろったのだった。


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