聖玉の王ー塔の街・4

同人誌で発表している長編小説のつづきの4ページ目です。
はじめての方は1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。

トップページ オリジナル小説館 「聖玉の王」の目次
「塔の街」1ページ目 前のページ 次のページ

「この階には湯殿があるわ」
 全員そろったところで、オレインが言った。
「温泉だから、気持ちがいいわよ」
「温泉?」
 ラーブが首をかしげながら、視線をオレインからサーニアに移した。
「温泉って、たしか、熱いお湯が地下から湧いてるんですよね? 見たことはありませんが」
「そうよ。わたしの知っている限りでは、ホルム王国には温泉はないけれど、ハウカダル島の北部には何カ所かある。でも、火山でもない山のこんな高いところに温泉?」
「もちろん、温泉が湧いているのはもっと低いところ。麓ぐらいの高さの洞窟からこの高さまで汲み上げているのよ。そういう仕掛けをつくったの」
「それはすごいわ」
 サーニアは目を丸くした。
「魔界の魔族はそんな技術をもっているの?」
「そうよ」
 オレインは胸を張った。
「〈塔の街〉は魔族の技術の結晶なのよ」
「それなら」と、ラーブが素朴な疑問を口にした。
「どうしてずっと〈塔の街〉に住んでいなかったんだ?」
「何が言いたいの?」
「いや、ずっと〈塔の街〉に住んでいれば、人間は、魔界から大勢の魔族が来ているなんて気づかなかったと思うんだけど。どうして人間の領域に侵入して刺激したり、攻め込まれやすい平地に村をつくったりしたのかな?」
「食糧の問題よ。〈塔の街〉でも、ある程度はまかなえるけれど、それだけじゃ足りないのよ。とくに新鮮な野菜がね」
「ああ、そうか」
 ラーブは、以前に魔族たちが、捕らえたグンナル王の身柄と引き替えに食糧を要求したことを思い出した。それに、人間の領域でも、寒冷な土地や山奥など、農作物に乏しい地もあると習ったことも。
「で、温泉に入っていくでしょ?」
 オレインの提案に、サーニアとラーブが「もちろん」と即答した。最後に湯浴みをしてからもうずいぶん経つので、肌がむずむずしてきていたのだ。
 リーズとテイトは不機嫌そうな表情をしていたが、内心ではかなりほっとしていた。
 ホルム王国では、庶民はめったに湯浴みせず、ふだんは体を湯や水で拭くだけですませていたが、リーズはさすがに王女なので、三日に一度は湯浴みする習慣だった。それなのに、もう何日も、湯浴みどころか、体を拭くのもままならない状態だったので、いいかげん気持ちが悪くなってきていたのだ。
 男のラーブやテイトでさえ、リーズほどではないにしても、上層階級なので庶民たちよりよほど清潔にしており、こんなに長く湯浴みも行水もしなかったことはない。
 それで、三人とも、オレインの申し出にほっとしていた。

「こっちよ」
 オレインの案内で洞窟の奥に進むうち、王宮の広間ぐらいの広さのその洞窟から、少なくとも三本の通路が延びているのがわかった。
 オレインは、そのうち右手の岩壁から伸びる通路に入っていき、一同は彼女につづいた。
 通路は、ほんの十数歩ほどで、全員がなんとか立てるぐらいの広さの空間に出た。
 相変わらず、自然の洞窟を利用しているのか、人工的につくった部屋なのかよくわからないが、でこぼこした岩壁に、明らかにこれだけは人工のものとわかる扉がふたつある。
 扉は、周囲と同じ岩でつくられているが、表面がすべすべに磨かれ、向かって左側の扉には男性、もう一方には女性の姿が浮き彫りにされていた。
「そちらが男性用で、こちらが女性用よ。代金はひとりにつき小さい銅貨二枚。ホルム王国の銅貨も使えるわ」
 オレインの言葉に、サーニアが意外そうな顔をした。
「通貨を使っているの?」
 オレインのほうもけげんそうな表情になった。
「あたりまえでしょ。通貨がなければ不便じゃないの」
「不便?」
 サーニアが首をかしげた。
「つまり、ここには、通貨がなければ不便なほどの人数が住んでるってこと?」
「ああ」と、オレインが納得したようにうなずいた。
「以前にホルム王国にあった隠れ家みたいなのを想像したのね。違うわ。ここは街なの。〈塔の街〉って名前のとおり、『街』といっていいほどの人口があるのよ」
 自慢そうなオレインの言葉に、ラーブも興味をそそられた。
「どのぐらいの人口があるんだい?」
「正確には知らないけど、ざっと」と言いかけたところで、オレインは口をつぐんで首を左右に振った。
「いけない。こういうことって、秘密にしなきゃね。あなたたちは人間なんだから」
 ラーブは少しがっかりしたが、それ以上聞こうとはしなかった。信用されていないのは悲しいが、いずれ為政者となるための教育を受けてきたので、街ともなれば、国家機密のようなものが存在するだろうというのはわかる。それをしつこく訊ねるのは失礼だ。
 それで、この話は打ち切り、オレインに促されるまま、温泉に入ることにした。

 扉を開けたところは脱衣場で、入り口のすぐ脇に代金を入れる木箱を設けてあった。
「番人はいないのか?」
 レイヴがふしぎそうに訊ねると、オロファドがすかさず、「いないよ」と胸を張って答えた。
「ただで入るやつとか、金をくすねるやつはいないのかと聞きたいんだろ? そんなやつはめったにいないよ。おれたちは人間とは違うからな」
 その言葉に、今度はラーブが首をかしげた。
「人間にだって、そんな人はあまりいないと思うけど?」
 それから、ブーリスや、これまでに出会った信用できない者たちのことを思い出し、自信なさそうにレイヴのほうを見た。
「たくさんいるのかな?」
「どういう場所かによるだろ。小さな村とかならあまりいないだろうが、まあ、シグトゥーナの下町にこんな物を置いている店があったら、その日のうちに金を盗まれてしまうだろうな」
 ラーブは、かつてレイヴと初めて出会った酒場のことを思い出した。
 何年も前のことだから、あのとき話した者たちとのやりとりを、それほど正確に覚えているわけではない。だが、盗みも人殺しもためらわないような荒んだ雰囲気が漂っていたことはよく覚えている。
 もしも、レイヴではなく、彼らのだれかを雇っていたとしたら、おそらくは道中で襲われ、金も命も奪われていたのではなかろうか。
 そういう者たちであれば、不用心な店から金をくすねるのをためらわないだろう。
「なぜかな?」
 だれに問うともなく、ラーブは宙をにらみつけるようにして口を開いた。
「魔族より人間のほうが良心的でないとは思わない。都市の下町に生まれ育った者が、上流階級の者や田舎に生まれた者よりも生まれつきすさんでいるとも思わない。場所によって違いがあるのなら、その差は生まれつきの性格によるものじゃない」
 ラーブは、自分の考えをまとめようとするかのように、つかのま黙りこくり、また言葉を継いだ。
「貧しいからだね。シグトゥーナの下町には貧しい者が多いからだ。それは為政者の責任だ」
「半分ぐらいはな」と、レイヴが口をはさんだ。
「いや、半分以下かもな」
「ほかに何があるの?」
「よそで食い詰めた者、田舎の地道で秩序のある暮らしになじめない者などが、都の下町に流れこんでくる。その結果として貧しい者が増えているという面があるからな。それは治める者が悪いってわけじゃないだろ?」
「ああ、そうか」
 ラーブはまたもや考えこんだ。
「よそで暮らしていけない人が、シグトゥーナでなら生きていけるというなら、それは悪いことじゃない。だけど、為政者がその状態を放っておいていいってことはないよね。貧しい人が多いなら、やっぱり何か手をうたなくちゃいけないと思う」
 レイヴばかりか、横で聞いていた魔族の男たちまでがほほえんだ。
「そう思うのなら、やっぱり王さまとして都に戻らなきゃな」
「いつまでもこんなところにいちゃ、何もできないぜ」
 魔族たちに言われて、ラーブは顔を上げた。
「うん。いつかは戻らなきゃとは思ってる。でも、いまは戻れない。戻るとまずいってだけじゃなくて、国の外でやるべきことがあるような気がするんだ。それが何かはわからないけど」
「おれたちのことを探るつもりじゃないのか」
 オロファドが辛辣な口調で口をはさみ、ラーブが心外そうに反論した。
「そんなことするもんか!」
「どうだかな」
「よせ」と、年長の魔族たちがオロファドをたしなめた。
「先のことはどうなるかわからんが、いまこのとき、彼はわれらと敵対しようとは思っていない。それは信用してもよかろう」
 オロファドは疑わしそうに肩をすくめたが、それ以上、言い募ろうとはしなかった。


上へ

前のページへ      次のページへ