同人誌で発表している長編小説のつづき7ページ目です。
はじめての方は1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。
部屋の前の通路を先ほど来た方角に戻ると、まもなく、先ほど案内されてきたとき曲がった十字路に出た。
「食堂などのある中心街はこのまままっすぐいったところにあるんだけど、その前に厠の場所を教えておくわね」
オレインはそう言って、通路の左側、十字路のすぐ手前にある扉を指し示した。
「こちらが男性用」
続いて、その反対側の扉を指した。
「こちらが女性用。まあ、見ればわかるけどね」
ラーブたちは厠に立ち寄り、用を足すことにした。
厠は浴場でも見かけたし、利用もした。ここのもそれと同じ形式だ。
穴の底が水路のようになっていて、排泄物を押し流していく。それは、ラーブたちが初めて見る形式の設備だった。人間の社会で使われているのは、持ち運びできる便器に排泄して、それを捨てるという形式の便器である。
考えてみれば、このような地下都市でその方式は不都合だろう。
このほうが衛生的だと、ラーブは感心した。
厠を出て十字路を越えたところから、通路が広くなり、両側に出来合いの食べ物を売る店や、飲食店らしき店が並ぶ一角となった。
「飲食店は、それぞれ特色のある店がいくつかあるし、ほかの階に行けばまた違う店があるけれど、今日は市が運営している店に案内するわ」
言いながら、オレインは、挑戦的な視線をラーブとリーズに向けた。
「とても安いの。王子さまや王女さまの口には合わないかもしれないけど」
「まずいのか」
テイトが顔をしかめた。
「まさか、貧民用の食堂とかじゃ……」
貧民用の食堂では、残飯や野生のムグなども用いると聞いたことがある。そんな不衛生なものを王に食べさせるなんてとんでもない。
テイトの心配を、オレインが憤慨しながら打ち消した。
「失礼な。たしかにこの街でいちばん安いのが市営食堂だけどね。人間の社会の最低ランクの店なんかとは全然違うわよ。この街には貧民なんていないのだから」
「貧富の差があまりないのかしら」と、サーニアが尋ねた。
「そうよ」
オレインが胸を張った。
「王侯貴族や大金持ちもいなければ、貧民もいない。そういう街なの」
「収入の差は?」
「もちろん、あるわ。でも、それは、はやっている店の店主とはやらない店の店主の差とか、腕のいい職人と未熟な職人の差とか、その程度よ」
「働きたいけど仕事がないとか、いくら働いても貧しいとか、そういう人がいないのね」
「そうよ」
「では、市営食堂は、一般の食堂とどこが違うの?」
「基本的に、できるだけこの山で豊富に手に入る食材だけ使っているってところよ。」
「この山で……。かなり寒冷だから、限られているでしょうね」
「そうよ。だから安いの。人間が遠征してくる季節に山から降りないと手に入らないものとか、人間と交易しないと手に入りにくいものは、どうしても高くなる。入手に危険がともなうからね」
「それで」と、ラーブが考えこみながら言った。
「こんなに安全な隠れ処があるのに、地上に村をつくったりしてたんだね」
「はい、よくできました」
オレインが見下したような口調で言った。
「地上でなら、山では難しい穀物も多少はつくれる。それで、危険を冒して畑をつくって暮らしていた勇敢な者たちがいたの。わたしの両親もその仲間だった。南に移住する望みは捨て、人間と戦うのもやめて、寒冷な土地でなんとか生き延びるすべを模索しようとしていた。それなのに」
オレインはつかのま声をつまらせ、ラーブを睨みつけた。
子供のときに彼女が危ういところをレイヴに助けられたという話を、ラーブは思い出した。おそらくそのとき、彼女は両親を亡くしたのだろう。
同じ年、リーズは母を、ラーブは育ての母を、テイトは父代わりだった叔父を亡くした。リーズの実母グリートフェン王妃は戦争で亡くなったわけではないが、それでも、もしも戦争がなければ、愛する夫が不在のあいだに病気になり、この世を去ることはなかったろう。
人間にとっても魔族にとっても戦争は悲劇なのだと、ラーブは改めて思った。
そのラーブの表情を見て、オレインは眉を吊り上げた。
「同情ならけっこうよ」
「同情じゃない。もし、それが、きみがレイヴに助けられたというときの戦いの話なら、そのときの戦いで、テイトの叔父上が戦死している」
オレインの顔がいっそうけわしくなった。
「だから、なに? 自分たちが正しいのだとでも言いたいわけ?」
「いや、戦争は、魔族にも人間にも大きな傷を残したんだなと思ったんだ」
オレインは拍子抜けした表情になりながらも何か言い返そうとしかけたが、そのやり取りのあいだに目的地に到着したので、それ以上の口論をやめて、一軒の店を指し示した。
「着いたわ。ここよ」
店の入り口には、脇に黒っぽい石板が置かれ、白墨で何か書かれている。ラーブたちが見たことのない文字だった。
「きょうのメニューは、ユキイモとトウヤギのおかゆか、茹でたユキイモの玉子料理添えか、それを組み合わせたセット。料金はどれも小さい銅貨一枚よ」
ラーブたちが旅の途中で立ち寄った庶民向けの食堂の食事代は、ホルム王国ではたいてい真鍮貨で六枚か七枚か八枚。他の国でもおおむねそれに該当する金額だった。真鍮貨は、十二の王国すべてで通用する大小の金貨や銀貨や銅貨と違って、国外では通用しない小銭で、ホルム王国の真鍮貨の場合、四枚で小さい銅貨一枚にあたる。つまり、この市営食堂の定食は、人間の社会の庶民向け食堂に比べて、かなり安いといえる。
座席は、周囲に十数人座れそうな長いテーブルが二つと、四人掛けや六人掛けのテーブルが合わせて十あまり配置されている。
客は、長テーブルの端の席にひとりと、小テーブルの一つに三人連れがいるだけだ。
小テーブルのひとりがラーブたちに気づいてじっと凝視し、それに気づいて連れのふたりも振り向いた。
ほとんど同時に店員らしい女性も気がつき、ラーブたちのほうに近寄ってきた。
「いらっしゃい、オレイン」
まずオレインに声をかけてから、女性はラーブたちを見回した。
「人間の……ホルム王国の王様の一行ね。王様はどのかた?」
穏やかだが硬い声音。隠しきれなかった敵意を補うように愛想よく微笑んだものの、少しぎこちない笑みとなっている。かといって、悪巧みを秘めた者が本心を隠すために装うにこやかさでもない。湧いてしまう自分の悪感情にいささか後ろめたさを感じ、抑制する必要を感じている。そんな笑みだ。
彼女の微笑に応えようと、ラーブもせいいっぱい愛想よく微笑んだが、緊張のため少し不自然になったのは否めない。
リーズは、自分も愛想よく微笑もうとしていたのだが、ラーブのぎこちない笑みがまるではにかんでいるように見え、不快感を覚えて微笑を引っ込めた。なぜ自分が不快に感じたのかわからなかったが、その苛立ちは疲れと空腹のせいだと自分自身に納得させた。
「早く座りましょう。今日はもうくたくたよ」
リーズの言葉に、店員は店内をふり向いた。
「長テーブルにしますか? 混む時間までまだ少し間がありますから」
「ええ。いまなら空いていると思って、早めに来たの」
オレインが答えると、店員は、だれもいないほうの長テーブルを指し示した。
「では、あちらにどうぞ」
一行は長テーブルの端に陣取った。意図したわけではないが、人間四人と魔族三人が向かい合って座る配置となった。
ラーブたちは全員、スープと茹でたユキイモがセットになったメニューを注文した。ユキイモの酒も小さい銅貨一枚だというので、それはレイヴだけが注文した。食事代に比べると高いのは、嗜好品だからだろう。