聖玉の王ー塔の街・その8

同人誌で発表している長編小説のつづき8ページ目です。
はじめての方は1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。

トップページ オリジナル小説館 「聖玉の王」の目次
「塔の街」1ページ目 前のページ 次のページ

  店員が立ち去ると、ラーブがずっと気になっていた疑問を口に出した。
「ところで、トウヤギってどういうもの?」
「この山の山頂に棲む動物よ」と、オレインが答えた。 「山頂は台地みたいになっていて、麓の平地や離れた山地に棲む動物と似ているけど少し違う動物がいろいろいるの。トウヤギはそのひとつで、ヤギに似た動物よ。というか、ヤギの一種といっていいわね」
「で、この街の主要な食糧源です」と、ラーブたちの背後から声がかかった。  振り向くと、魔族の男性が歩み寄ってくるところだった。魔族特有の黒髪は半ば白髪混じりとなっており、顔には年齢を感じさせる皺が刻まれている。年寄りというほどではないが、若くはない。市長よりだいぶん年上だろう。
「人間のお客は初めてですな」
 そう言いながら、男は長テーブルの横に立ち、全員を見回したあと、いちばん奥に座っているラーブに視線を向けた。
「あなたがホルム王国の国王陛下ですね。わたしはこの店の店長です」
「ラーブです」
「歓迎いたしますよ。わたしは、人間がすべて憎いとは思っておりませんから」
 店長の言葉に、ラーブはほっとした。
「わたしの妹とその連れ合いは人間に殺されましたが、その忘れ形見は人間に助けられました」
 言いながら、店長は、いちばん端に座っているレイヴに目を向けた。
「あなたが姪の恩人ですね。お礼を申し上げます」
 ラーブたちは驚いてオレインと店長を見比べた。
「オレインの伯父さん?」
「伯父さま」と、オレインが不機嫌そうな声を出した。
「市営食堂で店長が挨拶に顔を出すなんて、ずいぶん異例じゃないの」
「そりゃあ、もちろん、興味があるじゃないか。一種の国賓でもあるし」
「国賓?」
 オレインだけでなく、ラーブも驚いた。
「最近まで敵対関係にあって、友好国か中立国に転じつつある国の国王となれば、国賓みたいなものでしょう。市財政を使って歓待するというわけにいかないのは、わがほうの食糧事情や、滞在期間が長期に及ぶ可能性がおもな理由だと思いますが」
 店長の言葉に、客のいたテーブルから、不満の声と、それをたしなめる声が上がった。
 店長はそちらを振り向いた。
「人間に殺された者たちへの悼みや悲しみを忘れろというつもりはありませんよ。わたし自身も妹夫婦を亡くした悲しみは忘れられません。しかし、恨みや憎しみは乗り越えなければ、悲しみが繰り返されます。それに、幾人かの人間への恨みを人間全体に拡大されませんよう。人間といってもさまざまですから。われら魔族にもさまざまな者がいるのと同じように」
「そうよ」と、連れをたしなめていた魔族の女性が言った。
「同じ魔族でもザファイラ帝国の連中みたいなのもいるわ。彼らより人間のほうがずっとましよ。人間のほうがわかりやすいわ」
「同じ魔族なんて言うな! やつらは化け物だ。おれたちと同じじゃない」
「ほんとにそうなのか?」
 仲間うちでの議論がはじまったので、店長はまたラーブたちのほうをふり向いた。

「ともかく、ラーブどのには、ご自分の不利益を省みずに姪たちをかばってくださったことや、今年の食糧確保にご協力くださったことに感謝しておりますよ」
 つかの間、ラーブは、店長が何のことを言っているのかわからなかったが、数拍おいて思い当たった。
 ラーブが王宮を出立するとき、サーニアは、心配するエイリーク卿のため、遠く離れた者と会話するための石の一方をエイリーク卿に渡し、対になったもう一方をラーブに持たせた。
 ラーブが預かった石は、旅の途中で接触してきたオレインの招きに応じたとき、彼女に預けなければならなくなったが、そのとき、オレインは、エイリーク卿に連絡をとって心配しないよう伝えることを許した。
 事情を知ったエイリーク卿は、ラーブたちの食糧を送ると言いだし、オレインを介して卿と市長が話し合った結果、荷馬車五台分の物々交換が行われることになったのである。
 もちろん、ホルム王国と魔族の正式な交易ではなく、エイリーク卿の領内に住む商人がダナーン山脈方面に交易に赴くという体裁をとっての交易である。
 商人が国境を越えて交易のために旅することは珍しくはない。ダナーン山脈や、人間の領域の最北端に横たわるユマ山脈には小さな山村や独立自営民の民家が点在しており、自足しきれない物資を求めて山麓の街に交易にくることもあれば、そのまま南に交易の旅をすることもある。逆に、定期的にそういった山村に赴く商人もいる。
 つまり、エイリーク卿の側も魔族の側も、そういった商人に偽装しやすいというわけである。
 エイリーク卿の側が提供するのは、荷馬車の四台に、小麦とミウ麦、その他の麦類と雑穀。あとの一台に、塩漬けや酢漬けにした野菜、干した野菜や干した果物、葡萄酒とりんご酒、それに多少の輸入品。
 これらの品々は、例年ならホルム王国にあるていど豊富にあるが、いまは、昨年の内乱でザファイラ帝国の間諜に占領されていた村々が大きな痛手を受け、その穴埋めをするために品薄となっている。だから、エイリーク卿にもあまり多くを交易にまわすことはできないが、荷車五台分ぐらいは可能だし、魔族側が提供する岩塩は、じつは穀物以上に不足している必需品だ。
 ホルム王国には岩塩の産地がなく、海に面した五つの村で製塩をおこなっているが、そのうち最大の産地であるフェロ村を含めて三つの村が、昨年は魔族に占領され、そのあいだ塩を生産できなかった。そのため、冬の準備で塩漬肉をつくるのに塩が大量に必要となる秋には、国内の塩の蓄えをほとんど放出したばかりか、輸入にも頼った。
 しかも、村人たちの大半はまだ仕事ができるほど回復しておらず、今年も塩の生産が再開できないそうにない。被害を受けなかったあと二つの村でどんなにがんばっても、ホルム王国の今年の塩の生産量は例年の三分の一程度だろう。
 ラーブは旅立つ前に半年足らずだが政務をおこなったので、その事情を知っている。だから、エイリーク卿が魔族との交易を提案したのは、ラーブのためばかりではなく、ホルム王国のためでもあるとわかっている。
 市長もそれに気づいているのではないかと推測されるが、取引にあたってそれにつけこむような条件は出さなかった。
 市長もエイリーク卿も、相手の弱みをよくわかっていながら、敢えて気づかないふりをして、弱みにつけこけむのは避けている。双方とも、それは善意だけでなく、長い目で政治的配慮をしてのことだろう。
 それでもじゅうぶんいい関係だと、ラーブは思っている。
「必要な物資が手に入るのはお互い様です。この交易が平和への一歩になればいいと思っています」
 ラーブが答えると、店長が微笑んだ。
「一歩か二歩はすでに歩み出していると思いませんか。わたしの姪が生きていることや、ホルム王国の国王陛下がここにこうしておられることがその証ですよ」
 店長の言葉に、ラーブはなんだかうれしくなった。
 そこへ店員ふたりが食事を運んできたので、店長は一礼して立ち去った。


上へ

前のページへ   次のページへ