同人誌で発表している長編小説のつづき13ページ目です。
はじめての方は「塔の街」1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。
ムガシャは、ケパ鳥以外のさまざまな動植物についても教えてくれた。
この山の山頂平原には、トウヤギのほかにも、トウウサギ、トウネズミ、トウネコ、飛べない鳥ムムパなど、このあたり一帯の山々の山頂部にしか見られない動物がいろいろ生息しているのだという。
「多少は羊や牛などの家畜も飼っているのだが、数は少ないね。まあ、ムグは別だが。いちばん手に入りやすい肉はムグだから、市営食堂も、肉はムグが多いね」
リーズが眉をしかめる。ムグは苦手なのだ。
「山頂が平原になっているのなら、開拓して牧場にすれば、羊をたくさん飼えるのでは?」
リーズの問いは、ラーブが訊ねたいことでもあった。
「それはできないんだ」
「どうして? 寒いからですか」
「それもあるがね。地上の動物や植物を持ち込めば、山頂平原の動植物を滅ぼしてしまうかもしれないからじゃよ」
ラーブは目を丸くした。
「そういうことがあるのですか」
「うむ。そういうことが起こりかけたことがあったらしい。この山に魔族が隠れ住むようになって間もないころにな。山頂平原に畑をつくらないのも同じ理由だ。食糧を得るほうが重要だという意見もあったが、こんな寒冷な地の畑や牧場で生み出される恵みより、もとからある自然の恵みのほうがはるかに大きいとわかって、畑や牧場は、すでにつくってしまった小範囲の区画のほかは、洞窟内や岩棚にしかつくらない決まりができたそうじゃ。教訓として忘れないようにと、書物だけでなく、伝承歌として伝えられているほどじゃよ」
「人間の世界でも、森や山地などを開墾して村や農場をつくるのには、ある程度の制限があるわよね」と、サーニアが口をはさんだ。
「たいていどこの国でも、森林の多くは王家や領主の所有になっていて、勝手に開墾できない決まりになっているわ。新しく村や農場を拓けるのは、荒れ地や山間部など、国や領主に指定された地域だけよね。羊の放牧に使える草地も決められている。それは、王侯貴族の特権のためだけではなくて、国土を荒れさせないためという理由もあるわ」
ラーブは頷いた。それは、いずれ為政者となる身として、サーニアからも父王や教師たちからも、子供のころから受けてきた教育の一部である。
ムガシャも頷いた。
「うむ、まあ、それと同じような理由だな。自然が破壊されれば食物が足りなくなるという問題は、人間の世界よりここのほうが切実だから、人間の世界のような支配階級による締めつけなどなくても、決まりは厳格に守られておるよ」
食事をしながらの会話は、そのあと、これから受ける様々な授業についての話題に移っていった。
「伝承歌について?」
受ける授業の科目を聞いて、ムガシャがけげんそうに首をかしげた。
「それはまた変わったものを選んだね。それも全員そろって?」
「人間の世界で吟遊詩人たちの歌に登場する魔族は、人間を脅かす恐ろしい敵とされています。しかし、つい最近になって知ったことなのですが、それが全部ではなかったのです。歴代の王たちにも内緒で、ひそかに受け継がれていた歌があったのです」
「というと?」
「人間の世界で暮らしていた魔族の功績とか、かつて人間と魔族の間にあった愛や友情とか、そういった歌を、一部の吟遊詩人たちが秘かに伝えていたのです。かつて人間と魔族が仲良く暮らしていた時代があったという史実が忘れ去られてはいけないと思って」
ムガシャは目を丸くしてラーブを見つめた。
「それは知らなかった」
「わたしも最近まで知らなかったわ」と、サーニアが言った。
「ラーブといっしょにその歌を聴くまでは」
ラーブたちがそれら『禁断の秘歌』と呼ばれる秘密の歌の存在を知り、そのうちの何曲かを聴いたのは、ザファイラ帝国の企みで起こったホルム王国の内乱が終結したあと、ラーブたちが王宮を出立するまでの間のこと。かつての家庭教師だった音楽学校の先生たちとともに訪ねてきた吟遊詩人が、『禁断の秘歌』の何曲かを歌ってくれたのだ。
そのとき、レイヴは王宮を去って傭兵暮らしをしていたが、サーニアは老女の姿に変身したまま王宮に滞在していた。
「わたしもラーブといっしょにその歌を聴いたわ」と言いながら、リーズがレイヴに目を向けた。
「あのとき、レイヴはいなかったけど、一曲は聴いたことがあったのよね」
「あいつはそんなことまで話したのか。確かに俺はガキのころに一度だけ聴いた。ガンザの歌だけだが」
「ガンザの?」
ムガシャはますます驚いた。かつて人間に殺された孫息子を思い出したのだ。
「サーニアの恋人だったという人間の男とガンザの友情の歌だった」
「その歌はわたしたちも聴いたわ」と、サーニアが言った。
亡くなった恋人を思い出して、涙が頬を伝う。
「あー、つまり、そういった歌が魔族の側にも残されていないか知りたいわけじゃな」
「はい」
ラーブの答えに、ムガシャはため息をついた。
「残念ながら、そういう歌は聴いたことがないな。この街に住むようになってずいぶん長いし、気の合う友だちも何人もいるのだが」
「そうですか」
「まあ、そう気を落とすな。人間の場合と同じく、一般の人々には秘密で、ごく一部の者だけに伝えられているという可能性はある」
「そうですね。もしも、そういった歌を伝えたいと思った者がいたとすれば、この街でもやはり秘密にすると思いますか」
「そりゃあ、秘密にするじゃろう。人間の社会のように、公権力によって迫害される心配はないだろうが、周囲の者に白い目で見られたり、嫌われたりはするじゃろうからな」
「そうですか。……もしも、そういう歌が人間の世界に伝わっていると、授業中にでも話すことができたら……」
ラーブの言葉に、ムガシャとサーニアがほとんど同時に反対した。
「それは賢明ではないな」
「やめたほうがいいわ。へたに話すとよけいな反感を買ってしまうわ」
「反感……買いますか」
「たしかに俺は腹が立ったな。ガンザの歌を聴いたとき」と、レイヴも言う。
「そいつが命がけで俺に歌って聞かせたのだと気づかなければ、本気で腹を立てたと思う」
「たしかに、彼や先生たちが王宮まで来て秘密を打ち明けてくれたのは命がけだった。そのような歌を伝えていると知られれば処刑されるかもしれないというので、秘密で伝えられる歌だったのだが、彼らは命を懸けてわたしを信じてくれたんだ。イスラという名の吟遊詩人だった」
「わしはその人間の吟遊詩人より臆病かもしれんな」と、ムガシャが考え込みながら言った。
「この街に来てから誰にも話していない史実があるのじゃ。話そうと思ったことはないが、伝えるべき史実ではあるな。なのに、伝えるどころか、自分自身にさえ隠そうとしていた。人間を憎いと思うあまり、思い出すまいとしていた史実じゃ。ラーブ殿には話しておこう」
ムガシャはまっすぐラーブの目を見つめ、ラーブは思わず居ずまいを正した。
「われらは何十年ものあいだ、シグトゥーナに近い森に隠れ住むことができた。その理由じゃよ。じつは、われらは、クルール三世陛下に助けられたのじゃ」 ラーブは驚いて目を大きく見開いたが、同時に、そうだったのかと納得もした。
「都近郊の森は王家の所有だが、陛下はその一部を提供してくれた。森の際は慣例に従って村人たちが使用したが、森の奥への立ち入りは禁じた。鹿狩りなども行わず、森番も置かなかった。次代の王にもそのように伝えた。おかげでわれらは長いこと、森の獣を狩ったり、畑を作ったりしながら、見つからずに隠れ住むことができたのじゃ。森の際近くまでうっかり出てしまった者が運悪く見つかるまでは」
「クルール三世は信頼する魔族の宰相に後事を託して出征し、伴った騎士や兵士たちのなかには、ガンザをはじめ、魔族が何人もいたわけですよね。で、帰還したとき、都を守っていた魔族の宰相も、ともに戦った部下の家族たちも殺されていたら……。せめて生き残った者たちだけでも助けたいと思うでしょうね。でも、恐慌状態の兵士たちや一般民衆を抑えきれなければ……」
自分がクルール三世の立場でも、同じことしかできないだろう。脱出を見逃し、王有林の一部を隠れ場所にできるように手配するぐらいが限界だろう。それはどれほど無念であったろうか。
しかも、クルール三世はそのあと数年で亡くなっている。王有林への立ち入り禁止は後継ぎに伝えたとしても、いつまで守られるかわからない。亡くなるときにも心配だっただろう。実際、孫の代に、その森に逃げ込んだ魔族たちは殲滅されたのだ。
ラーブは、曾祖父のクルール三世がどのような人物であったのか、いままで考えたことはなかったが、いまは共感できる人物として身近に感じられたのだった。