聖玉の王ー和睦への道・その5

同人誌で発表している長編小説のつづき14ページ目です。
はじめての方は「塔の街」1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。

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5

 《塔の街》で暮らすようになってまもなく、ラーブたちは、人間の世界で暮らしていた魔族たちには、人間に比べて裕福な暮らしをしていた者が多いようだと気がついた。
 それは、人間の七倍という長寿と無関係ではないだろう。赤子から子供へ、おとなへと成長していく時間は人間の七倍かかるから、たとえば七十歳の魔族なら、人間の十歳の子供と同じぐらい子供っぽい。だが、知識や技術を身につける時間は人間の子供よりたっぷりあるので、人間の十歳児より物知りだ。
 これは、学者や技術者、医者や薬師、職人など、知識の多寡や技術の習熟が重要な職業に就けば、人間より有利となる。百年や二百年といった長い歳月をかけて経験を積み重ねることができるのだから。
 それを羨ましいと思った人間は多かっただろう。長い経験と多くの知識を持つ者たちへの称賛。多くの経験と知識を可能とする長い寿命への羨望。築いた富や地位への羨望。羨望と紙一重の嫉妬……。
 魔界の魔族たちの侵攻を引き金に、それまで魔族と共存していた人間が一転して魔族を迫害した背景には、そんな羨望や嫉妬もあったのではないかと、ラーブはちらりと思った。
 ラーブ自身、魔族の長命を妬ましいとは思わないが、羨ましいとは思う。《塔の街》の図書室には、ハウカダル共通語で書かれたものだけでも膨大な資料があり、学校には、興味を引く授業がたくさんある。学びたいことがたくさんあるのに、何十年も何百年もかけて知識を増やしていける魔族たちと違って、自分にはそんなに時間がない。
 人間の寿命が魔族の七分の一しかないというのに加え、ラーブは生涯をこの《塔の街》で過ごすわけではない。いずれホルム王国に戻るときが来る。戻るべきときが来なければ困る。それは十年後か二十年後かもしれないし、一年後か二年後かもしれない。
 とても学びきれない膨大な知識を前にして、学ぶ時間がもっとたくさん欲しいと、ラーブは切実に思った。
 そんな思いをサーニアの前で口にすると、サーニアは微妙な表情をした。
「うーん、何か勘違いがあるような気がするわ」
「勘違い?」
「たしかに、寿命が七倍あれば、一生に触れる知識や経験は七倍だわね。職業によっては、それは有利ね。おかげで、人間と魔族がともに暮らす社会では、人間より魔族のほうが裕福な暮らしを手に入れていた者が多かったと思う。それは事実よ。でもね。七倍の寿命があるからといって、七倍の知識と経験を蓄えられるかというと、それは違うと思うわ」
「なぜ?」
「だって、人間と魔族は、体の大きさも頭の大きさも同じぐらいよ? 魔族の頭が人間の七倍大きいというわけじゃないのよ?」
 思いがけない指摘に、ラーブは目を瞠った。言われてみれば、確かにそうだ。
「寿命が長いと、入ってくる知識や情報も多い代わりに、蓄えきれずに忘れていく知識や情報も多いんじゃないかしら。忘れていく知識や情報の量なんて、測ったことも比べたこともないから、まあ、わたしの推測なのだけど。わたし自身、人間の七倍の知識や経験を蓄えているという気はしないわ」
「え、でも、サーニアさまはとても物知りじゃないですか」
「そりゃあ、子供だった頃のあなたに教えられることはたくさんあったわよ。とくに薬草などの知識は、仕事のためもあって、とくに興味をもって調べたりするから、身につきやすいわよ。職業上必要な知識や技術とか、とくに興味をもっている分野の知識などは、たしかに寿命が長い魔族のほうが身につきやすいと思う。それは事実よ。でも人間の七倍は無理でしょう。専門分野でも、いいとこ二倍か三倍……かな。実年数にして七分の一の経験を積んだ人間に比べて、七倍の知識が身についたとは、とても思えないわ」
「そういうものですか」
「そういうものよ。まして、あなたは、一つの技術を磨いて技術者になりたいというわけではなく、広く知識を身につけて、それを活かせるよい王になりたいのでしょう? そういうのは、寿命が長ければたくさんの知識や情報に触れることができるでしょうけど、忘れていく分も多いのではないかしら。べつに魔族を羨ましがる必要はないと思うけど」
 そう言われると、魔族に対して感じた劣等感のようなものが薄らぎ、肩の力が抜けていく。それでも、学びたいことが多すぎて、時間が足りないという焦りは残るが。
「学びたいことが多いのはよいことだわ。時間が少ないと意識しているぶん、魔族よりむしろ濃密に学べるかもしれない。でも、焦りすぎて無理をしないようにね」
 サーニアの言葉に、ラーブは頷いた。

 魔族の長寿をそれほど羨むことはないと知ったラーブだが、それでも、学びたいことが多すぎるという焦りは大きい。自然に、仕事と学校以外の余暇は、図書館で過ごすことが多くなった。
 図書館は、市庁舎やラーブたちの部屋がある階に本館があり、各階に分館がある。〈塔の街〉に持ち込まれた書物や新たに書かれた書物は、いったんすべて本館に収められ、写本が作られると分館に納められる。つまり、本館の蔵書数は分館に比べて圧倒的に多い。
 蔵書は、リモー王国語で書かれたものも多かったが、半数近くは人間の世界の言語で書かれており、そのうちのほとんどはハウカダル共通語の書物だった。そのほか、ホルム語など、ハウカダル共通語がつくられる以前から、各国で使われてきた言語で書かれた書物も多少ある。そのなかには、シグトゥーナの王立図書館や王宮内の図書室で見かけた書物も多数あった。
 ラーブは、ハウカダル共通語で書かれた多数の蔵書のなかから、リモー王国語からの翻訳書や、この〈塔の街〉で書かれた書物を選んで読み漁った。それらは、人間の世界に戻ってからは読めない書物であり、魔族を理解するのに重要な手がかりだという認識から、できるだけたくさん読みたかった。
 とはいえ、読書以外にも、すべきことや大切なことはたくさんある。魔族を理解するには、書物以上に、魔族たちとじかに接する時間は重要だと、ラーブは思っている。その意味において、役所の仕事は、魔族たちとできるだけ多く接することのできる貴重な機会だった。
 だが、では仕事が楽しいかというと、とても楽しいとはいえない。見習いが失敗して落ち込んだり、上司や先輩にこっぴどく叱られたりするのはどんな職場でもあるだろうが、それ以上に、ラーブもリーズも魔族たちのほとんどに敵とみなされている。敵国の王太子が自分たちといっしょに働いているというのは見るからにあやしいだろうから、無理もない。
 そんな敵意と不信の目を向けてくるのは役所の職員だけではない。役所の仕事として、病人のいる家や小さな子供のいる家を訪問して必要な物資を届けるとか、市営食堂の手伝いをするとか、そういった場合でも、親切にした相手に睨まれる。
 魔族たちから敵意を向けられるのは、〈塔の街〉を訪れると決めたときから覚悟していたことだが、現実に日々の生活で度重なれば、やはり精神的にきつい。ラーブ以上にリーズが大きな打撃を受けており、ひとりで泣いているのを見かけたことが何度もあった。
 そんなラーブとリーズにとって、テイトやサーニア、レイヴと過ごす時間は、何よりも貴重な癒しのひとときだった。善意と好意で接してくれていると信じられる人がそばにいるだけでほっとする。
 感情に任せてしばらく愚痴をこぼしたリーズが、恥ずかしそうにテイトとレイヴを見た。
「ああ、ごめんなさい。わたしばっかり愚痴をこぼしちゃって。テイトやレイヴだって、いやな思いをいろいろしているわよね」
「そりゃあ、まあ、腹の立つことはいろいろありますけども。いやなことがあると、ラーブさまやリーズさまが同じような目に遭っていないかと気になって、落ち込んでいる場合ではないような気がして」
 テイトの言葉に、リーズが目を潤ませる。リーズの涙にテイトが少し焦ったような表情になり、「それにレイヴが」と、レイヴのほうをちらりと見た。
「何を言われても平然としてるんですよね。寛容というより、気に留めていない感じで」
「ん?」と、レイヴが首をかしげる。
「何かそういうことがあったか?」
「ほらね。気に留めてないんだ。こういうやつが近くにいると、怒るのも落ち込むのもばかばかしくなってきたりするんですよ」
「レイヴは周囲の魔族の敵意とか気にならないの?」
 ラーブの問いに、レイヴは首をかしげた。
「別に気にしたことはないな。ふつうは気になるものなのか?」
 ラーブとリーズとテイトがいっせいに頷く。
「ここで仕事をするのも、人間の社会で傭兵をするのも、たいした違いはないと思うが。周囲の敵意という点に関しては」
 ものごころついてからひとりで生きてきたというレイヴの経歴を思い出し、リーズが涙ぐむ。
「苦労してきたのね、レイヴ。いまさらだけど」
 レイヴは首をかしげた。
「いや、べつに俺だけではないと思うぞ、そういうのは。傭兵をやっているような奴らは似たようなものじゃないのか。俺は人間の社会にいたとき、ほかの人間の感情なんて気にしなかった。いっしょに働くのが魔族になっても、それは同じだ。ああ、でも、そうか」
 レイヴはラーブとリーズを見た。
「おまえたちはそういうわけにはいかないんだな。魔族たちの感情を気にしないというわけには。魔族を理解しようとしているのだから」
 ラーブは頷いた。そう、たしかに、理解しようとしているからこそ、敵意を示されると傷つくのだ。傷つくからといって、レイヴのように無関心ですませるわけにはいかないのだ。
 それでも、いまのような会話をしていると、魔族たちの敵意に腹を立てたり落ち込んだりするのがばかばかしくなり、疲れた心が解きほぐされていく。ラーブにとってもリーズにとっても、心許せる仲間たちと過ごすのは大切なひとときだった。


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