聖玉の王ー和睦への道・その6

同人誌で発表している長編小説のつづき15ページ目です。
はじめての方は「塔の街」1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。

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「塔の街」1ページ目 前のページ 次のページ

 数ある学校の授業の中でも、ラーブがとりわけ楽しみにしていたのは、『伝承歌について』の授業だった。ラーブが受講する教科の中で唯一の夜間の授業である。
 この授業に興味を持ったのは、ホルム王国を危機に陥れた内乱が終わったあと、戦後の後始末に追われていたとき、王宮を訪ねてきた吟遊詩人たちに、『禁断の秘歌』なるものの存在を知らされたからである。
 宴席の場でも街角でも、吟遊詩人たちの歌に登場する魔族は、人間を脅かす悪の権化。だが、それとは視点の異なる歌の数々が、じつは秘かに受け継がれていた。そこで歌われる魔族たちは、人間とともに暮らし、人間の世界でさまざまな功績を残し、人間との間に友情や恋を育んだ。
 そのような歌を伝えていると知られれば、裏切り者として断罪され、処刑される。ゆえに、吟遊詩人たちの中でも一部の者だけが、それらを『禁断の秘歌』として、命がけで秘密裏に伝えてきたのだ。真実が忘れてしまわれないようにするために。
 その禁忌を破って、三人の音楽家がラーブたちに秘密を明かした。音楽学校の校長と教師をしているラーブの師ふたりと、レイヴの知り合いだという吟遊詩人イスラの三人が。為政者に『禁断の秘歌』のことを知られれば処罰されるかもしれないという危険を侵し、ラーブを信じて秘密を明かしてくれたのだ。
 彼らと同じように、魔族にも、敵同士という偏見にとらわれずに、魔族と人間がともに過ごしてきた時代を歌にして伝えている者がいないだろうか?
 そんな一抹の期待を胸に秘めて、ラーブはこの授業を選択した。リーズ、サーニア、レイヴもまた、『禁断の秘歌』を聴いていたので、ラーブと同様の興味を持ち、テイトはラーブへの忠誠心から、キトはサーニアへの忠誠心から同じ授業を選んだ。さらには、ラーブたちが全員そろってこの授業を受けることに興味を引かれたらしいオレインとオロファドまで加わって、総勢八名。人数の少ない授業なので、かなり目立つ。
 教師は、セジャという名で、人間でいえば五十歳ぐらいだろうか。白髪と黒髪が混ざって灰色に見える髪を背中まで垂らして縛り、踝近くまである裾の長い灰色の衣をまとっている。
「今期は生徒数が多いな」と、セジャ先生が言った。
「『伝承歌について』初級クラスは三つの階に一つずつあるが、どこも、十人を越えることはほとんどない。今期も、あとの二クラスは十人と七人。しかるにここは十九人。しかも、そのうち四人は人間で、四人はその人間たちとともに旅してきた者たち。どういうことなのか興味があるな」
 セジャ先生と視線が合って、ラーブは、早々に『禁断の秘歌』について語ることになるのだろうかと緊張した。だが、セジャ先生は、いまその問いをラーブたちにぶつける気はないようだった。
「まあ、それはおいおい聞くことにしよう。初対面では、本音を聞くのも、本音かどうか判断するのも難しいからな。まあ、それに、そちらの四人」
 セジャ先生は、オレインとオロファド、サーニアとキトに目を向け、次いで、「そちらのふたり」と、ラーブたちの斜め後ろに座っている魔族の青年ふたりに視線を移した。ラーブに見覚えのない男たちだが、教室に入ってきたときにオレインが警戒するような視線を向け、つかのま睨みあったので、気になってはいた。
「人間を別にしても、今まで音楽にも伝承歌にもとくに関心を示したことがなかった生徒が六人もいるというのも珍しい。まあ、そちらの理由はあるていど想像がつくが。それも今日は訊ねるのをよそう。初日から険悪になるのは避けたいからな。今日は無難な歌を取り上げようか」
 そう言ってセジャ先生が教えてくれたのは、三人の子供たちが母親の病気を治すために女神さまを探し、ついに女神さまに万能の薬をもらう歌とか、子供たちに人気があるらしい遊びの発祥を物語った歌など、子供に歌い聞かせるような優しい雰囲気の歌ばかりだった。
 魔界に棲んでいた平和な時代に生まれた古い歌なのだそうで、人間は登場しないかわり、戦いも憎しみもない。そのような心温かくなる歌が残されていることに、ラーブはほっとした。もとの魔族の言語の歌と、ハウカダル共通語に翻訳された歌の両方を歌ってくれ、解説しながら教えてくれたのもありがたかった。
 だが、セジャ先生が三曲目を歌い終わったとき、抗議の声が上がった。今まで音楽に興味を示したことがないというふたりの若者からだった。
「そんな歌はもういいです!」
「子供のときに聞いたことのある歌ばかりじゃないですか! しかも人間の言語に翻訳した歌なんて!」
 セジャ先生はため息をつき、生徒たちからも彼らに言い返す声が上がった。
「いいじゃないの。なつかしいわ」
「せっかく気持ちよく聞いていたのに」
「人間の言語っていうけれど、わたしはリモー語も魔界共通語も知らないのよ。ニザロース王国の生まれ育ちなんだもの」
 生徒たちの反応に、ふたりは激高した。
「きさまらには、魔族の誇りがないのか? 人間が憎くはないのか?」
「人間の味方をするなど、魔族の裏切り者だ!」
「あー」と、セジャ先生がふたりを諫めた。
「言ったであろうが。初日から険悪になるのは避けたいと。それに、今日取り上げたような古い歌、子供に聞かせるような歌というのは、もともとわたしの得意分野でもあってな。初級クラスで最初に取り上げることが多いのだ。これまでも、初級クラスのわたしの授業はこういう路線の歌からはじまるのが通例だった。それに文句を言われても困るのだが」
   生徒たちの何人かが頷き、怒れる若者ふたりは無言でセジャ先生を睨みつけた。
「ともあれ、今の歌の解説をしよう」
 セジャ先生は、何事もなかったような落ち着いた態度で解説すると、授業を終えた。
 生徒たちとともにラーブたちも教室から出ようとすると、セジャ先生が呼び止めた。
「人間四人とその知り合い四人、ちょっと残ってくれるかな」
 他の生徒たちがラーブたちのほうにちらちら視線を走らせて退出していくのを見計らって、ラーブが詫びた。
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」
「いや、今日のごたごたについては、迷惑をかけたのはあのふたりであって、きみたちではない。ごたごたのもとになったことについては、迷惑という気持ちがまったくないといえば嘘になるが、きみたちに非はないので、非難するつもりはない。ただ、今回のようなごたごたは今後もあるだろうし、不快な思いをすることもあるだろう。あの二人以外の生徒たちにしても、今回は彼らが理不尽すぎたので彼らを非難したが、だからといって、人間を憎んでいないわけではない。それを承知の上でわたしの授業を続ける気があるかどうかを確認しておきたい」
「続けたいと思っています。続けさせていただけるのでしたら」
 ラーブが答え、ほかの六人もそれに同意した。
「わかった。では、もうひとつ確認しておきたい。きみたちは音楽の授業を受けていないが、音楽の素養は?」
「魔族の音楽はまったく知りません。人間の世界の音楽は、一般的な教養として学んだ程度です。好きな曲とか、なつかしい歌とかはありますし、きれいな音楽を聴くのは好きですが。あの、今日教えてくださった歌も、どれも好きだと思いました」
「ふむ。音楽はふつう程度には好きだが、一般的な嗜み以上の特別な関心をもって学んだことはない。だが、伝承歌には強い興味を持っており、わたしの授業を受講することにした。そう思っていいのかな」
「はい」
 そう言い切っていいのかどうか、つかのまラーブはためらったが、端的に自分の音楽についての関心や素養を説明するなら、やはりそういうことになろう。
「他の者もそれに近い状況と思っていいのかな」
 その問いには、ラーブは答えきれないので、仲間たちのほうを見る。
「オレインは笛の名手です!」
 オロファドが勢い込んでそう言い、オレインに頭を小突かれた。
「二年ほど習ったけどたいして上達しなかったわ。恥ずかしいこと言い出さないでよ」
「ふむ、わかった。で、きみたちを呼び止めた理由はもう一つ」
 そう言って、セジャ先生が言いにくそうに頭をかいた。
「この〈塔の街〉は治安がいい。なにしろ、人間にもザファイラ帝国にも見つからないように隠れ住む一種の砦であり、密集して住んでいるからな。犯罪や暴力沙汰を防ぐための警備は厳しいし、法や秩序を守ろうという住民たちの意識も高い。が、それでも、暴力を好む者も犯罪に手を染める者もいる。そういう者が集まった集団さえある。先ほどのふたりもそういう集団に属している可能性が高い」
「そういう集団に属しています。まちがいなく」と、オレインが断言した。
「彼らの心を少し読んだのです。不穏な感じがしたので、マナー違反などと言っている場合じゃないと思いまして。ラーブたちがこの授業を取っているというのも、その集団から得た情報らしいとわかりました。はっきりした情報源まではわかりませんでしたが」
「だれがどの授業に申し込んだか知っているのは、役所の職員と教師と申し込んだ本人ぐらいのものだ。役所の職員が加担しているとは考えにくいから、読心能力に長けた者が加わっていて、だれかの心を読んだのだろうな」
 そう言って、セジャ先生はラーブのほうを見た。
「たとえば、きみは、そういった魔力については無防備なのだろう?」
「えーと、たぶん」と、ラーブが答えた。
「つまり、わたしの心を読む者がいれば、わたしの行動予定が筒抜けというわけですね」
「うむ。まあ、全部筒抜けとまではいかないだろうが、防御する手段がなければ、ある程度は読み取られるな。その者の力の強さにもよるが。たまたまそのとき考えていたこととかは、読み取られる可能性は高いかな」
 そう言われてみると、伝承歌の授業を楽しみにしていただけに、歩きながら、どんな授業かと考えていたことは多かった気がする。
(どうせなら、そのとき『禁断の秘歌』のことも読み取って、わたしが魔族の敵ではないとわかってくれればよかったのに)
 ちらりとそう思ったが、そこまでの力はないのだろう。そこまでの読心能力があったら、他の者の心をもっと深く理解できて、偏狭で攻撃的な集団の一味とはならないような気がする。
「わかりました」と、オレインがセジャ先生に言った。
「ご忠告ありがとうございます。対策を考えます」

 その翌朝、キトが魔力をもつ石を四つ持ってきて、ラーブとリーズとテイトとレイヴに一つずつ渡した。オレインとサーニアが相談して、読心能力者に心を読まれるのを防げるだけでなく、魔力による攻撃も防げる魔石を一晩がかりでつくったのだという。
「ふたりとも疲れ果てて眠っているので、わたしがこれを託されたのだ。たぶん、これで大丈夫だとは思うが、くれぐれも完全に防御できると安心しないように。魔力と魔力の戦いは双方の能力次第なので、こういうものに完璧というのはあり得ないのだ。この石はもちろん、以前に渡した危機の時に助けを呼べる石も、肌身離さず持っているようにという伝言だ」
 ラーブたちは、オレインやサーニアに感謝しながら、その石を受け取った。


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