聖玉の王ー和睦への道・その7

同人誌で発表している長編小説のつづき16ページ目です。「和睦への道」は今回で最終回です。
この小説がはじめての方は「塔の街」1ページ目からお読みください。
同人誌をお読みになっていない方も、話についていけると思います。たぶん。

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「塔の街」1ページ目 前のページ 次のページ

 次の『伝承歌について』の授業のとき、セジャ先生は、魔族の若く美しい女性を伴って教室に入ってきた。人間でいえば十代の終わりか二十歳前後といったところか。ゆるやかに波打つ黒髪を後ろで縛り、膝丈ぐらいの青い上衣と同色のスカートを身に着けている。魔族は、男も女も美しい容姿の者が多いが、そのなかでもとりわけ美しい女性だった。
「バドウェン先生だ」と、セジャ先生が紹介した。
「専門コースの受講生だが、教育実習として、こちらの授業を何回かやっていただくことになった」
「バドウェンです。よろしく。わたしは、この〈塔の街〉に来て十六年しか経っていませんから、知っている伝承歌は限られています。伝承歌に興味を持ってから、初級クラスで五年、中級クラスで五年、専門コースで三年学びました。専門コースの勉強は今後も続けていきますが、初級クラスの講師の免許を取れば、初級クラスの授業を受け持たせていただけるというありがたいお話があり、今日からしばらく、こちらで教育実習をさせていただくことになりました」
 ラーブたちを含めて皆が歓迎の拍手をするなか、例のふたりが口々に言った。
「バドウェンか! その名前、聞き覚えがあるぞ! 裏切り者の娘の名前だ!」
「〈塔の街〉に来て十六年しか経っていない? 十六年前まで何をしていた? 人間のところにいたんじゃないか!」
「父親が裏切り者なら、娘も裏切り者だな!」
「親子そろって堕落している!」
 バドウェン先生の目が怒りに燃えた。
「何も知らないくせに勝手なことを言うな! わたしも父も、そのように愚弄される筋合いはない!」
「愚弄? こいつらとつるんでるんだろうが!」と、男たちのひとりがいきなりラーブを指さした。
「こいつらがこの授業を受けると聞いたとたんに来るところが、そもそもあやしい。魔族のくせに、ホルム王国に加担してるんだろうが!」
 いきなりの指摘にラーブたちは目を丸くし、バドウェン先生はあきれたようにため息をついた。
「たしかにわたしはホルム王国に住んでいたことがあるが、王太子は別に知り合いではない。ここにいる人間たちの中で、初対面でないのはレイヴだけだな」
「え?」と、レイヴが怪訝そうな声を上げた。
「おれはあんたに見覚えがないんだが」
「そりゃまあ、知り合いと言うほどの接触はなかったし、わたしは人間に変身していたからな。こんな姿に」
 そういうと、バドウェン先生は姿を変えた。先の尖った耳は人間の耳に。漆黒の髪は金褐色に。年齢は今までの姿より少し若いだろうか。美しいながらに女性らしさが減じられ、少女とも少年ともつかない容貌だ。
「あ」と、数瞬の間をおいて、レイヴが言った。
「音楽学校の学生。イスラってやつとしばらくつるんでいた……」
「覚えていてくれたか」
 言いながら、バドウェン先生は元の姿に戻った。
「あんた、女だったのか」
「驚くのはそこか? 『魔族だったのか』とは言わないんだな」
「あ、いや、魔族だというのも全然気づかなかったが、女だとも気づかなかった。男だと思い込んでいた」
「あのころはまだ、女になってはいなかった。男でもなかったが。性別がまだ分かれていなかったんだ」
 教室が妙にしんと静まり返っていることに、ラーブは気がついた。
 バドウェン先生がかつて人間に化けてシグトゥーナの音楽学校にいたということも、レイヴとも吟遊詩人のイスラとも知り合いだったということも、ラーブにとっては驚きだが、魔族の生徒たちにとっては驚くようなことではなかろう。それなのに、どうしてこんなに驚いているのか?
 ラーブの内心の疑問に答えるかのように、不穏な二人組のひとりが口を開いた。
「その年齢で、まだ性別が分かれていなかった?」
「そうだ」
「しかも、さきほどの姿変えの術! あんた、相当な能力者だな」
 そういうことかと、ラーブは納得した。魔族の変身は、サーニアやオレイン、それにかつてラーブを操ろうとしたザファイラ帝国の間諜によって見慣れていたので、バドウェン先生の変身を見てもそれほど驚かなかったが、じつは、変身できる者はかなり特殊なのだろう。それに、性別が分かれる年齢が標準とかなり違うというのも、魔力の大きさを示しているのだろう。
「その能力を、どうして魔族のためにだけ使わんのだ!」
「そうだ! 音楽などという卑小なことばかりしやがって!」
「卑小なことだと?」
 バドウェン先生の目が怒りに燃えた。
「この伝承歌の授業を受講しておきながら、音楽を卑小と言うのか? 卑小だと思うのなら、退講してもらってもいっこうにかまわないのだぞ」
 二人組はたじろいだ。
「いや、べつに辞めるとは言っていない」
「卑小と言ったのは、まあ、言葉の綾だ」
「よろしい。では、授業を続けます」
 そう言って、バドウェン先生は、前回のセジャ先生の授業と同様、子供に歌い聞かせる歌という風情の伝承歌を二つ教えてくれた。

 授業が終わると、セジャ先生は、前回の授業のあとと同様、ラーブたちを残らせた。今回はバドウェン先生もいっしょだった。
「割って入る必要があるかと様子を見ていたが、その必要はなかった。うまく収めたな」
 セジャ先生がバドウェン先生を褒めると、オレインが肩をすくめた。
「あざといわね。レイヴと昔の知り合いなのにかこつけて魔力の強さを見せつけるなんて」
「あの手合いは、なんだかんだ言って、強い者に弱いからね」
 そう言って、バドウェン先生はラーブたちのほうを振り向いた。
「人間のあなたたちのほうが、わたしの姿変えに驚いていなかったね」
「魔族が姿を変えるところは何度も見ましたから」
 ラーブが言うと、リーズも頷く。
「魔族にとって、そんなに珍しい力だとは思いませんでした」
「そんなに珍しい力かというと、わたしと同じぐらいか、わたし以上に姿変えのうまい魔族はたくさんいるよ。ただ、魔族全体からみると、かなり少人数ではあるな。まあ、その話はおいといて」
 バドウェン先生の表情が真剣みを帯びる。
「先ほど、わたしとレイヴが話していた時のあなたたちの反応に興味を覚えたのだが。わたしの姿変えにはそれほど驚いていなかったが、もっと別のことで驚いているように見えた。何に驚いたのだろう?」
「わたしは、あなたがシグトゥーナに住んでいたとか、レイヴやイスラの知り合いだったと聞いて驚いたんだけど。音楽学校の学生だったんだね」
「自分の王都に魔族が潜んでいたと知って、恐くなったか?」 「いいえ。別に。危険な目的があって潜んでいたのではないのでしょう? ザファイラ帝国の間諜たちのような?」 「もちろん」と、バドウェン先生が破顔した。
「わたしが音楽学校にいたのは、吟遊詩人の免許をとれば、十二の王国を自由に行き来できるからだ。あちこち旅して、わたしと同じような状況の魔族がいないか探したかった。十二王国の版図を越えて北に行けば魔族がいるだろうとは思ったが、見つけられる確証はなかったし、見つけたとしても、魔界から来た魔族たちに合流するのにはためらいがあった。だから、十二の王国のどこかにいるかもしれない仲間を探したかったのだ」
「そうね。わたしたちに合流したのは、渋々だったものね」と、オレインが言った。
「初対面でなじられたもの。魔界から来た魔族たちのせいで家族が皆殺しにされたのだ、と。思いっきり感じが悪かったわ」
「すまないね。言い過ぎた。あの頃のわたしはかなりかりかりしていた。家族を殺した人間たちも憎かったが、その原因をつくった魔界の魔族たちも憎かったのだ」
「でも、憎いはずの人間たちのなかに例外ができたのよね」
「その話はよせ!」
 バドウェン先生の声が悲鳴に近い響きを帯びた。
「心配しなくてもいいわ」と、オレインが答える。
「イスラの名前を出しても、ラーブがホルム王国に戻ったあと、イスラが処罰される心配はないわ。イスラのほうから王に会いに来たことがあって、そのときの話を聞いたもの」
「え?」と、バドウェン先生がラーブを振り向いた。
「いったい、何があった?」
「去年の内乱が終わってしばらく経ったころ、吟遊詩人のイスラ、音楽学校の校長をしているステイン先生、それにカイ先生の三人が会いに来ました。そのとき、『禁断の秘歌』なるものの話をしてくれたのです」
「『禁断の秘歌』? 初めて聞くな。詳しく話して……、いや、長くなる話なら、心を読ませてもらったほうが早い。オーラーブ王、誓って約束するが、イスラたちと会った時のことだけに留めるので、心を読ませてもらえるだろうか?」
「えーと、どうすればいいんです?」
「額に手を触れさせて欲しい。そのとき、イスラたちと会った時のことを思い出してもらえればいい」
「いいですよ」
「ちょっと」と、オレインが口を挟んだ。
「彼女の場合は応じてもいいけど、心を読ませるなんて、誰にでも応じていいってもんじゃないわよ。言っとくけど」
「うん。わかってる」
 オレインがそれ以上は止めず、ラーブが「どうぞ」と額を突き出すと、バドウェン先生の右手の指先がラーブの額に触れる。ラーブは、イスラたちと会った時のことを、できるだけ正確に、詳しく思い出そうと努力した。
 ステイン先生を筆頭に、何人かの吟遊詩人たちが、為政者や人々に知られると危険な歌の数々を、『禁断の秘歌』と呼んで秘かに伝え続けてきたこと。ラーブがそれを知っても弾圧などしないと信じて秘密を明かしてくれたこと。それによって、かつて宰相を務めたジランをはじめ、何人もの魔族がホルム王国に貢献してくれたと知ったこと……。
 どのぐらいの時間が過ぎただろうか。バドウェン先生がそっと手を離した。見開いた瞳から涙が頬を伝い落ちる。
「そんなものがあったのか。わたしが音楽学校にいたときより前からあったんだな。校長先生やカイ先生がそんな秘密を抱えていたなんて、まったく気がつかなかった」
「ひょっとして」と、サーニアが言った。
「あなたはジラン宰相の末のお子さんね。思い出したわ。リラウェンの妹が、たしかバドウェンという名前だった」
「そういうあなたは、リラウェンねえさまの友達だったサーニアさん。わたしも思い出した。あまりにも昔のことなので、名前を聞いてもすぐには思い出せなかったけど」
「イスラは、ジラン宰相の功績を讃えた歌をいくつか歌ってくれたけれど、じつは歌わなかった歌があった。伏せたがっている秘密は読み取らないのが礼儀だけど、あまりにも強く心の中で渦巻いていたので、断片的にだけど聞こえてしまった。リラウェンと人間の騎士シグスティンの恋の歌だった。当人が敢えて秘密にしていることだから、ラーブたちにも話さなかったのだけど」
 恋の歌と聞いて、リーズが興味津々で身を乗り出した。
「どんな歌なんですか? あ、秘密にしていたのなら、聞いてはいけないかしら」
「秘密にしていたのは、たぶん、バドウェンの名を口にしないため。歌の最後にバドウェンの名が出てきたから」
「わたしの名前が?」
「断片的にしか聞いていないのだけど。魔族排斥の暴動が起こったとき、リラウェンは、シグスティンまで巻き添えになるのを恐れ、彼を守るために自害した。シグスティンは暴徒たちに捕らえられ、ジラン宰相の逃げ延びた末っ子バドウェンの行方を白状させようと拷問され、『知らぬ』『教えぬ』と言い続けて死亡した。そんな内容だったわ」
 バドウェン先生の目が驚きに見開かれた。
「わたしをかばって殺された? 裏切られたと思ってたんだ。姉を殺されたと思いこんで、ずっと憎んでいたんだ。それなのに」
 バドウェン先生が泣き伏した。
「ああ、にいさま」
 泣いているバドウェン先生を見ながら、ラーブがつぶやいた。
「それにしても、イスラは、『禁断の秘歌』のことをわたしに打ち明けていながら、どうしてバドウェン先生の名を伏せておこうとしたのだろう。わたしを信じ切れなかったのかな」
 怒りは感じないが、一抹の寂しさを覚える。もっと信じてもらえるようにしなければという内省も。
 もやっとした気分を、レイヴがあっさりと破った。
「そういうのは、相手をどれだけ信用しているのかとは別問題みたいだぞ。ガキの頃のおれに秘歌のひとつを聞かせたとき、言ってたんだ。自分の命を信じた相手に預けても、自分以外の命は預けられないと。そう決めているみたいだった。あいつの決めたことなのか、『禁断の秘歌』を受け継いだ者たちの決まりごとなのかは知らないが」
 ああ、そうかと、ラーブは得心した。そういう秘密の歌を自分が信じて選んだ相手に伝えようとすれば、自分の命を相手に預けることになる。しかし、どんなに信じている相手にも、自分以外の継承者の名前は明かさない。自分以外の命を預けない。そのようにして長いあいだ秘密を守り続けてきたのだろう。 「彼らしいな」と、いつのまにか泣き止んでいたバドウェン先生が言った。
「もしも正体がばれずに人間のふりをしてシグトゥーナで暮らしていたら、その『禁断の秘歌』の継承者とやらになってみたかった気もするな。音楽学校の先生たちや吟遊詩人たちは、わたしが思っていたより懐が深かったようだ」

 このあとも、ラーブたちはバドウェン先生と会って話をすることが何度もあった。過去のことやイスラのこと、一年前の内乱に関わる話など、お互いに知りたいことが多かったので、話題が尽きなかったのだ。
 いつも授業のあとで会うのでは、例の二人組の注意を引いてしまうので、バドウェン先生が姿を変えて訪ねてくることが多かった。セジャ先生がいっしょのときも何度かあった。
 気がつけば、バドウェン先生もセジャ先生も、〈塔の街〉で初めて出会った魔族たちのなかで、市長に次ぐ友人となっていたのだった。
 彼らだけでなく、役所の仕事やさまざまな授業を通して、ラーブたちに対する偏見をやわらげ、多少の親近感を示す者も少しずつ増えていった。反感や敵意を示す者のほうが多かったが。
 ともあれ、ラーブが目指す戦いのない世界、魔族たちとの和睦への道は、細いながらも少しずつ伸び始めたようだった。


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