暗い近未来人の日記−新入社員・その4 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2011年11月27日UP |
2093年5月13日
今日、寮で事件があった。わたしが会社にいるあいだに、寮の一室に住んでいたフリー契約の女性が自室で倒れているところを発見され、救急病院に運ばれたっていうんだ。
彼女は、ウェブ制作にあたっていたクリエイターで、会社ではなく、寮の自室でいつも仕事をしていたそうだ。
会社の寮とはいっても、全員がオロファド社の社員ってわけじゃない。関連会社の人が数人と、フリー契約の人がふたり住んでいる。
その人たちが住むのは、洗濯室のある最上階の五階で、わたしが住んでいるのは三階。だから、同じ寮とはいっても、ほとんど面識はない。
発見したのは通いの管理人のひとりだそうだ。寮の管理人は、常住してチーフを勤める社長令嬢のほか、通いのパートタイマーがシフトを組んで掃除などの雑務や警備に当たっている。社長令嬢は、その人たちに指図したり、お金を出し入れするような仕事はしているが、雑用のような仕事はほとんどしていないらしい。
クリエイターの女性が倒れたのは平日の昼間だから、寮にいたのは社長令嬢とパートの管理人のふたりだけ。入寮者は全員、仕事に出ていた。
だから、大事に至る前に発見できたのは幸運な偶然といえるかもしれない。
オンラインで会社に送られてくるはずの彼女の仕事が時間を過ぎても届かないので、担当者が連絡を取ろうとしたのに連絡がとれず、パートの管理人に頼んで部屋に行ってもらったところ、倒れていたのが見つかったという。
倒れた原因は、過労と栄養失調らしい。つまり、かなり過酷な条件で働いていたってことなのだろう。
「仕事の遅い人だったらしいよ」と、どこかから噂を聞き込んできた榊さんが言っていた。
「だって、フリーのクリエイターって、お金になるもんじゃないの? わたしの友だちですごく稼いでいる子がいるよ」とも。
もちろん、それは榊さんの物の見方だ。恵まれた人のケースを全体に当てはめて捉えることはできない。フリーのクリエイターの収入は、ごく一部の恵まれた人とその他大勢の差が激しいって聞いたことがあるもの。
この会社で、出来高制で働いている人たちがどういう扱いを受けているか、見たことがあるしね。
それは、「仕事が遅い」とか「才能がない」というのとは別次元の問題だ。最低賃金制が適用されないから、会社側はいくらでも安く使えるのだ。
たしかにクリエイティブ系だろうが、そのほかの分野だろうが、収入の多い人は、能力の高い人なのだろう。たぶん。
だけど、底辺で踏みつけにされるように働いている人たちが、能力の低い人だとはかぎらない。だってね、恵まれている人のほうがはるかに少数派なんだよ。大多数の人が「仕事が遅い」「能力が低い」というなら、その基準はなんなの?
それも、フリーランスとか非正規社員とか、立場の弱い人ほど高い基準値を要求されるって、よけい変だよ。
倒れた人って、顔も名前も知らないんだけど、なんだか義憤を感じてしまった。
いや、義憤ってのともちょっと違うか。自分だって不安定な立場でこの先どうなるかわからないんだし、なんだか他人事とは思えないなあ。
2093年5月15日
今日、配属希望を書く用紙を渡された。
もちろん、希望どおりのところに配属されるとはかぎらないんだけど、いちおう本人の希望として考慮はされるらしい。
わたしがやりたいのは、ウェブ制作や出版みたいなクリエイティブ系の仕事だ。就職活動のときも、事業内容のなかにクリエイティブ系の仕事もある会社を選んで受けた。
ほんとうはそういうのが専門の会社のほうがよかったんだけど、大きな会社は難関すぎ、小さな会社は条件が悪いうえに先行き不安な感じだったから、結局、受けたのは、いくつかのジャンルに手を出していて、クリエイティブ系の事業もやっているって会社が多かった。
まあ、将来の安定性ってのに心が揺れて、教員試験だの公務員試験だのも受けたけど。で、そちらは両方とも落ちたけど。
どちらも、試験に落ちたとき、がっかりしなかったといえば嘘になるけど、それほど落ち込まなかった。「やっぱり好きな仕事をしたほうがいい」「これでよかったんだ」という気持ちが強かったからね。
で、この会社に入ったいまは、ほんとうに好きな仕事をできる会社に入ったのかどうか、すごく疑問がある。まあ、最初に配属されたのがあまり興味のなかった庶務課だったとか、人間関係がきついってのもあるけど、それだけなら、クリエイティブ部のどこかに配属されれば全然違うだろうと期待できたんだ。
でも、このあいだのフリーランスの人が倒れた一件で、心が揺らいでいる。
クリエイティブ系の仕事って、こういう面があったんだ。働いている人の「好き」って気持ちにつけこんで、人を安く使って使い捨てにしていくようなところが。
そういう風潮は好きになれない。抵抗があるし、不安なんだけど……。
でも、希望を書くとなると、やっぱりクリエイティブ部なんだよなあ。
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