魔族狩りの日・その6

異世界ファンタジー小説の6ページ目です。
「聖玉の王」の外伝にあたりますが、物語としては独立しています。

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        6

 シグトゥーナでの暮らしは以前と変わりがなかったが、レイヴの心の内側は違っていた。以前には知らなかった温かで幸福な記憶があった。背を向けてきた場所でありながら、その記憶は、レイヴにとって命に等しいほど大切な記憶だった。
 カズス草のせいで、のどはひどい風邪でもひいたかのように痛んだが、それぐらい、 一時的にでもこの温かな思い出をなくすことに比べれば、たいしたことではなかった。
 その一時的になくした声も、四日目あたりからしだいに快復し、ガンザが言ったとおり、六日目の朝には完全に元に戻っていた。
一団の騎士と兵士たちがシグトゥーナの城門から出ていったのを、レイヴが知ったのは、その日の午後遅くのことである。
 騎士や兵士が城門から出ていくのは、べつに珍しいことではない。毎年春、魔族との戦いのため、王が大軍を率いて出陣していくのを別にしても、留守を任された騎士や兵士たちが、周辺の村々の見回りなどのため、少人数でときおり市外に出かけていくことはある。
 だから、レイヴは、路上での市民たちの会話でちらりとそれを耳にはさんだときには、たいして気に止めなかった。
 だが、城門から出ていった一団が どう見ても百人近くはいたという話を耳にしたときには、思わずどきりとして、周囲の会話に聞き耳を立てた。
 王の率いる本軍が戦いに赴いて留守のときに、これだけの留守部隊が動くのは、なにかよほどの緊急時があってのことだ。
 いままでのレイヴなら、べつだんそれを気に留めはしなかっただろう。国や軍隊のごたごたなど、レイヴにとっては何の感心もないことだったからだ。
 だが、いま、レイヴはいやな胸騒ぎがしていた。魔族たちの村がいずれ見つかる恐れがあると、ガンザが言っていたことを思い出したからだ。
 だが、まっとうな市民たちからはくわしい話を聞けない。レイヴが近づいたり、視線を向けたりすれば、市民たちは、嫌悪と恐怖もあらわに、そそくさと逃げるように立ち去ってしまう。
 それでレイヴは、とりあえず軍隊のあとをつけることにし、城門に向かおうとして、顔見知りの物乞いの姿を見つけた。
 物乞いたちは、盗みや追剥ぎで食っている者たちに比べて穏やかな性質の者が多く、とくに年寄りたちは、人と魔族がともに暮らしていた時代のことを知っているので、レイヴを髪の色によって差別したり恐れたりすることもない。
 それで、彼らの幾人かは、レイヴにも気軽に声をかけ、顔見知りといえる程度には親しくなっていたのだった。
「じいさん、何があったのか知ってるか?」
「ああ。なんでも、魔族の間諜が森のどっかに潜んでいたらしい」
「けっ」と、背後で嘲るような声が上がった。
 強盗や追剥ぎのような荒っぽい仕事を生業とするごろつきのひとりである。
「仲間のことだから気にかかるのかい?」
 ごろつきの揶揄は、むろん、レイヴと魔族たちとの関わりを知ってのことではなく、青ざめたレイヴの表情も、背後からわかろうはずはない。レイヴの黒髪のことを言っているのである。
 ごろつきたちは、もっと幼い頃はさんざんいじめた相手が、いまは自分たちより強くなったという事実がおもしろくなく、かといって力で争う度胸もないので、機会があるごとに、こういった揶揄や罵倒の言葉を浴びせようとするのだった。
「兵隊たちもよ、森まで行かなくても、ここに魔族の間諜がいるんだから、なんとかすりゃいいのによ」
 早くも逃げ腰になりながら、ごろつきがわめいたが、レイヴは完全に無視した。もともとこういった揶揄は無視して聞き流す習慣が身についていたし、まして、いまはそれどころではなかったからだ。
 魔族たちの村は、村とはいっても、同胞たちと合流することを拒んだごく少数の魔族の隠れ里にすぎず、たいした人数はない。レイヴが親しく話したことがあるのは、サーニア一家とそのほか数人ぐらいのものなので、村人の正確な人数はわからないのだが、家が六、七軒ほどしかなかったから、せいぜい三、四十人といったところだろう。
 しかも、そのなかには、ムガシャのような老人もいれば、ターナのような子供もいる。百人もの武装した兵士に勝てようはずはない。  ひょっとしたら、危険に気づいて、すでに逃げ出しているかもしれないが、楽観はできない。
 レイヴは、城門に向かって駆けだそうとし、それから、討伐隊より先に魔族たちの村に向かって知らせようにも、自分は村の場所を知らないのだということに気がついた。
 魔族の村に行くには、討伐隊のあとをつけるしかない。それで間に合うかどうか、はなはだあやしかったが、ほかに方法はない。
 それでレイヴは城門に向かって走りだした。

 城門の付近は、近隣の村々から避難してきた人々でごったがえっていた。その混乱の中を、人の流れに逆行して進むと、レイヴは門から飛び出した。
 シグトゥーナの城門には、いつもは門の上の見張り台に当直の兵士がふたり詰めているだけなのだが、今は、そのほかに三人ばかりの兵士が門の内外にいて、警戒と人々の整理に当たっている。
「おい! きょうはむやみに外に出てはいかん!」
 兵士のひとりがレイヴを見咎めて叫んだが、外の出たのがまっとうな市民の子弟ではなく、盗みで生計を立てている浮浪児のひとりだと知ると、それ以上とめようとはしなかった。
 レイヴは街道をひたすら走った。いいかげん息が切れてきたころ、はるか前方に討伐隊が見えてきた。
 見つからないように、レイヴは街道の脇の林に駆け込むと、木々の合間から一行が見える位置を保ちながら、討伐隊の横をまわって、なんとか彼らの先頭が見えるところまで追いついた。が、そこからどちらに行けばいいのかわからない。
(サーニア! クペ! ガンザ!)
 レイヴは討伐隊について移動しながら、なすすべもなく心の中で叫び続けた。

 知らせるすべはないと、レイヴは思い込んでいたが、その心の中の叫びは、サーニアに届いていた。
 サー二アは、魔族のなかでも特異な力の持ち主だった。かつてレイヴの足の傷を癒したのもその力なら、遠くの光景を見る遠見の力や、遠くの者と会話をする遠話の力もあった。
 彼女自身の力に加えて、それを助ける魔法の聖玉を、やはり特異な力の持ち主だった亡き曾祖母から授かっており、その聖玉の助けで、かなり強力なカを発揮することができた。
 とはいえ、つねであれば、サーニアがレイヴの声を聞くことはなかっただろう。レイヴには遠くの者に呼びかける力などなく、いくらサーニアでも、自分が注意を向けてもいないときに、遠話の能力を持たない者の声を聞くことなどできはしない。
 だが、いま、サーニアは、遠見の力を駆使して、周囲に注意をめぐらせていた。サーニアだけでなく、村じゅうの魔族みんなが、きょうは早朝から警戒していた。
 ことの起こりは、けさ早く、魔族のうちのふたりが、いつもより林の奥のほうまで入りこんできた騎士見習いの若者数人と遭遇し、ひとりを取り逃がしてしまったことにあった。
 これがニ日あとであれば、村じゅうの者が北に向かって出発していたはず。じつに間の悪い事件だった。
 いずれ討伐隊がさし向けられることは予想されていたが、人間と遭遇した魔族のほうもまた、ふたりとも負傷し、そのうちひとりは重傷。しかも、村には年寄りも子供もいるとなっては、追っ手がかかっているなかを逃げ切るのは難しい。
 そこで、村人たちは、こういう場合に備えて、村の近くに隠れ部屋を用意してあったことでもあり、逃げるよりも戦い、そして隠れることにした。負傷者や病人、年寄りや幼い子供など、戦える状態にない者を隠れ部屋に避難させ、ガンザたちは周囲に散って、見張ったり、罠をつくったりして、討伐隊を迎えうつ準備をしていたのである。
 勝算は少なかったが、追っ手がかかっている状況でやみくもに逃げるよりは、それがはるかにましだと判断したのだった。
 サーニアはといえば、隠れ部屋で負傷者ふたりの手当てをする一方で、ときおり遠見のカで、村の周囲を監視していた。そうする必要があったというよりは、そうせずにはいられなかったのだ。
 遠見の力を使うときには、神経を張り詰めるので、感覚が鋭敏になる。だからこそ、自分に向かって必死に呼びかけてくるレイヴの心の叫びがわかったのである。
 サーニアは、レイヴの叫びを頼りに、彼のいる場所と討伐隊の位置を知り、急いで遠話でガンザに知らせた。それから、レイヴに呼びかけた。
(レイヴ)
 頭の中でいきなり響いたサーニアの声に、レイヴは驚いた。サーニアのそんな力のことは知らず、むろん遠話で会話をしたことなどなかったので、てっきり近くにサーニアがいるのだと思い、あたりを見まわした。
(声を出してはだめ。わたしに話したいことがあるなら、心の中でそれを考えなさい)
(討伐隊が来てるんだ)
 わけがわからないまま、レイヴは、知らせるべき情報を心の中で言葉にした。
(知ってるわ。あなたの心の声が聞こえたから。ガンザにも知らせた。だから、あなたはシグトゥーナに帰りなさい)
(なぜ? おれも戦う。戦力になるはずだ)
(いいえ。わたしたちにはわたしたちの作戦がある。なのに、あなたがうろうろしていては、それがだいなしになるの。だから帰りなさい)
 レイヴはためらった。
 魔族のなかにはときどき強力な魔法使いがいると聞いたことがあり、サーニアがそんな魔法使いらしいということはわかった。サーニアたちは、思っていたほど無力ではないらしい。
 それなら、自分が立ち去ったほうがいいというのはほんとうらしいと思う一方、そうすることにはためらいがあった。
 レイヴのためらいを汲みとって、サーニアが言葉を重ねた。
(あなたの命が危なくなれば、わたしはあなたを見殺しにはできない。たぶんガンザもね。あなたはわたしたちの希望だから。人間と心を通わせることはもうできないのではないかと、半分あきらめかけていたときに、あなたに出会ったんだもの。だから、あなたが軽率なことをして危なくなれば、わたしかガンザがあなたを助けようとして命を落とすかもしれない。あなたはそれに堪えられる?)
 レイヴは青くなった。冷静沈着な戦士のガンザが、危急の戦いのさなかにそんなことをするとは思えなかったが、サーニアならやりかねない。
(ほんとうに勝算があるんだろうね?)
(もちろん。でも、あなたがぐずぐずしていれば、勝算が低くなる)
「だれだ!」
 レイヴのそばで誰何の声が上がり、別の声が続いた。
「呼びかけるまでもない。魔族に決まってる」
 討伐隊の兵士にレイヴが見つかったことに気づいて、本人以上に、サーニアが青くなった。
(人間だと名乗って、見逃してもらうのよ!)
「待て! おれは人間だ!」
 サーニアの指示どおり、レイヴは叫び、両手を上に上げて、兵士たちの前に進み出た。そうするのは気分が悪かったが、意地を張るとサーニアに危険を呼んでしまう。
 兵士たちは、構えていた剣を下ろした。
「子供がなんでこんなところにいるんだ?」
 兵士の問いに、レイヴより先に別の兵士が答える。
「おおかた好奇心に駆られて見物に来たんだろうさ」
「そんなところだろうな。……おい、子供。ここは危険だ。これは戦争の一部なんだ。さっさと帰れ」
 サーニアは、ほっとして、遠見と遠話の力を使うのをやめ、そのとたん、猛烈な眠気に襲われた。
 こういった特異な力は、使うと神経をすり滅らし、むしょうに眠くなる。そのため、ふだんはよほどのことがなければ使わない力なのだが、きようは朝から力を使いっばなしで、もう疲労が限界に達していた。
 それで、サーニアは、まだまだ眠ってはいけないと思いながら、力を使い果したあとの深い眠りについた。
 レイヴにそれがわかっていたら、約束を破るようでサーニアに悪いと思いながらも、魔族たちに加勢して戦う道を選んでいたことだろう。
 もともと保身や慎重さとは無縁のいきあたりばったりの生き方をしてきたうえに、感情のままに行動しがちな年代。それに加えて、サーニアたち一家に与えられた温かな情愛は、それまで知らなかったものだけに、そこに安住できずに背を向けたにもかかわらず、レイヴにとってかけがえのないものとなっていた。
 サーニアたちを守るためなら、レイヴは、ためらわずに魔族たちに加勢し、命がけで戦ったことだろう。彼女が説明したより、状況がはるかに悪いと知っていたとしても、それは変わらなかっただろう。いや、むしろ、なおさら戦いの場に背を向けることはできなかっただろう。
 だが、レイヴは、魔族たちの不利も、サーニアが眠ってしまったことも知らなかったので、いまもサーニアがふしぎな力で見守っていると思い、その場をあとにしたのだった。

 レイヴは知らなかったが、林の中に、彼を見送る八つの目があった。魔族の村の少年少女たち、クペとターナ、ゴルとカザクである。
 彼らは、林に罠をしかけたあと、林のなかに巧妙につくられた隠れ穴に隠れるように、おとなたちに言いつけられていた。木の切り株や藪の下などに、人ひとりが隠れられる穴が、危急の際に備えて、以前からいくつか設けられており、おとなたちからの合図があるまでそこに隠れて、罠で敵の数が減ってから、おとなたちと合流して戦うという作戦だった。
 その最後の罠を仕掛けるとき、木々の合間から、遠くのほうで、レイヴが人間の兵士たちと言葉を交わしたのち立ち去るところが見えたのである。
 人間に対する憎悪と恐怖からレイヴを敵視していたゴルとカザクはもとより、クぺでさえ、レイヴのその行動を誤解した。レイヴが兵士たちを案内してきたと思ったのだ。
「信じられない。レイヴが裏切るなんて……」
 つぶやくクぺの耳元で、カザクがささやいた。
「やつは人間だぞ。これでおまえらも目が覚めたろうが」
 ゴルとカザクは、愕然としているクぺとタ−ナをそれぞれ別の隠れ穴に押しこむと、自分たちも隠れた。
 だが、ターナは、押しこまれた穴にそのままじっとしてはいなかった。すぐに穴から顔を出し、近くで人間の足音が聞こえないのを確かめると、穴からすべり出て、シグトゥーナの方角に向かおうとした。どうしてもレイヴが自分たちを裏切ったとは思えなかったので、彼を追いかけて、それを確かめたくてたまらなくなったのだ。
 だが、穴から出てまもなく、ターナは人間の兵士と鉢合わせした。
 恐怖で目を見開き、その場にたちすくんだターナに向かって、兵士の剣が容赦なくふり下ろされた。


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